明治維新から変わらない日本の古くさい政治のしくみ

かつての右肩上がりの時代は、潤沢な国費を分配するのが地方を代表する国会議員の役割になっていました。地元のさまざまな課題をどんどん国に挙げ、次々と予算をつけてもらう。そんな仕事ぶりが「力のある政治家」との評価になっていました。

しかし今は、停滞が続く時代です。

要望されてもお金が出せない。簡単に予算はつかず、既存の政策や制度すらも見直さないと持ちこたえられないような状況です。旧来の国会議員の感覚のままで振舞っても成果は上げられず、むしろ時代の流れに逆行してしまいます。

ほとんど車の通らない道路の新設工事、ほぼ誰も使わない公共施設の維持管理など、まるで企業の既得権益を守るかのような公共事業は、その典型です。

複雑に交差する道路の上からの眺め
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日本の政治のしくみは、明治維新のころからほとんど変わっていません。当時最先端だったフランスやドイツから制度を取り入れたときのままの発想です。お手本にした国々はとうの昔にアップデートしているのに、日本だけが古いしくみを守り続けているのです。

既得権益を持つ人に権力を預け続けている

国会議員の構成を見ても、古い体質であることは明らかです。裕福な家庭で育った、障害や病気のない、男性、が多数を占め、多様性の真逆のような構成になってしまっているのです。そんな集まりには、自ら変える発想も力も生まれないでしょう。

ドイツの国会には「連邦議会」と「連邦参議院」があり、連邦参議院は各州の代表で構成されています。日本で言えば、全国の市区町村のトップが国会議員を兼ねているようなものです。また、男女比を平等に近づけるために「クオータ制」を導入している国も複数あります。フランスの県会議員選挙は「ペア制度」を採用しました。男女ペアでないと立候補できない制度です。さらに、アフリカのルワンダは「国会に障害者の議席を必ず設ける」と憲法で定めています。

さまざまな国が、時代に合わせてしくみを変えているのに、日本だけ旧態依然としたまま。いまだに既得権益を持つ人たちに「権力」を預け続けているのです。

既得権益を守るしくみは強固です。何の行動も起こさずに文句を言っているだけで変わるほど甘くはありません。変わらないのは行動しない私たちの責任でもある。私たちが変えていくしかないのです。