「権力」そのものが悪いわけではない

いわゆる「権力」と聞くと、既得権益などと結びつき、悪いイメージしか浮かばない人も多いかもしれません。社会的な力が国民のために適正に使われていない。そうとしか思えない。だから良いイメージが湧かないのだとは察します。

でも本来、権力そのものは善悪で語るテーマではありません。

誰のため使うのか。どう使うのか。今の政治家は往々にして、そこが間違っているのです。

とりわけ国会議員が使う権力は「国民のため」にあるはずです。

世の中の「できない」を「できる」に置き換えていく大きな力。その行使と成果には、国民の思いが託されています。真摯しんしに、そして適切に行使していく重い責務がともなっています。

それなのに今の日本では、いびつなカタチで力が使われているのではないか。「ごく一部」の「既得権益者のため」に権力が濫用されているに違いない。権力を振りかざし、好き勝手している政治家は悪いヤツだ。だから「権力は叩くべき」ものだ。そんなふうに、ずいぶんとぞんざいな扱いをされている気がします。権力を握る政治家はまるで悪代官、大げさにワイドショーの俎上そじょうにも載せられてしまう状況です。

地方自治体のトップにも大きな「権力」が集中しています。地域利権を差配できる立場にもあります。実際、こんな私のもとにすら、選挙が終わるたびに「応援してやったのに」と文句を言う恨みがましい声が聞こえてきます。

近しくても支援者でも誰にでも、便宜など一切図らないからです。そんなことは当然です。選挙で応援しようがしまいが関係ありません。住民の声を聞き、住民のために良いと思う施策をする。それが首長の使命・役割です。

殺害予告をされても権力を市民のために使った

冷たいまちをやさしいまちに変えるため、子どものころから市長になることを望み、40才を過ぎてようやく市長になりました。困っている人に手を差し伸べ、やさしい社会をつくることが使命。私が市長として持つ権力は、当然「市民のため」に使う。実際にこの12年間、あたりまえのことをしっかり続けてきました。

既得権益を守りたい人たちには、さぞかし邪魔な存在に映ったでしょう。

就任前から今でもずっと、数多くの嫌がらせや悪口も言われ続けています。殺害予告もされるような身です。それでも根っからの市民派です。たとえ文句を言われても、恨みを買っても、脅されても、そんなことで私の政治姿勢は変わりません。

どんなことがあっても「市民のため」に。

自分たちのまちを、自分の望みを託せるのは誰か。未来を選び、政治家を選ぶことができるのは、あなた自身です。決める権利をあなたが持っているのです。