「わしは家康どのにお味方いたす」その発言が空気を形成した
そして小山評定当日、家康と長政が仕組んだシナリオ通りに事は進みます。
評定が始まると、正則が真っ先に、
「わしは家康どのにお味方いたす。このたびの三成の挙兵、秀頼公とは関係なく、すべて三成自身が企てたもの。たとえ妻子を人質に取られようとも、わしは三成との一戦に臨む――」
と切り出したのです。
この正則の発言は、ほかの大名たちの心理にとてつもなく大きな作用をもたらしました。
大名たちは、
「三成と戦うことは、秀頼公に刃を向けることになりはしないだろうか」
ということを、何よりも恐れていました。
ところが、正則は豊臣恩顧の大名の中でも、秀吉の子飼い中の子飼いです(秀吉の母方の従兄弟になります)。その正則が「三成と戦う」と言っているのです。何を恐れる必要があるのでしょうか。
正則の発言に続いて、長政が、
「福島どのに同じく、この黒田長政も家康どのにお味方いたす」
と発言すると、ほかの諸将も異口同音に「同じく」、「異議なし」と発言。家康を中心とした反三成軍=東軍が一気に形成されたのでした。
「自分の意志で言った」と思っているからこそ効果を発揮する
もちろん、本心では妻子のことを思い、すぐにでも大坂に戻りたかった大名もいたでしょうが、とてもそのような私情を言い出せる雰囲気ではなくなっていました。
小山評定という交渉における家康の勝因は、家康や彼の家臣が交渉の前面に出なかったことにあります。
黒田長政に根回し役を任せたからこそ、福島正則は長政の言葉に耳を傾け、評定の場で真っ先に発言することを承諾しました。
これがもし、家康の家臣が正則に、「明日の評定ではこういう発言をしてくださらぬか」と持ちかけたとしたら、さすがの正則も「家康め、裏で何か考えているな」と勘ぐったはずです。
しかし正則は、あくまでも自分の意思で、「家康どのにお味方いたす」と発言した気になっています。それだけに、場の空気も一気に変わりました。家康自身が直接、「わしについてくれ」と発言するよりも、はるかに大きな効果がありました。
会議における交渉では、第三者をいかにうまく使うかが重要なポイントになるわけです。