なぜ日本は勝てるはずのない戦争を始めたのか。毎日新聞の栗原俊雄記者は「アメリカから石油を輸入できなくなり、『このままだと石油不足で戦争ができなくなる』という声が高まった。しかし、開戦に踏み切れば事態を打開できるわけではない。日本の首脳は合理的な判断ができなくなっていた」という――。(第2回/全2回)

※本稿は、栗原俊雄『戦争の教訓 為政者は間違え、代償は庶民が払う』(実業之日本社)の一部を再編集したものです。

『東条英機内閣成立 初閣議後、記念写真に納まる東条内閣閣僚』(出典=毎日新聞社/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)
『東条英機内閣成立 初閣議後、記念写真に納まる東条内閣閣僚』(出典=毎日新聞社/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

開戦の決定を白紙に戻すよう伝えた昭和天皇

天皇は木戸幸一内大臣を通じて、東条に対して9月6日の御前会議の決定を白紙に戻すよう伝えた。

東条は近衛内閣の陸相として、中国からの撤兵を断固として拒否していた。その東条を首相にする狙いは、陸軍の主戦派を抑えて戦争を回避させることだった。それをやりやすくするために「10月下旬をめどに開戦決意」、という決定を白紙に戻したのだ。昭和天皇が「虎穴に入らずんば虎児を得ずということだね」と言ったことはよく知られている。「虎穴……」とは中国の歴史書『後漢書』にある一節で、「危険を冒さなければ、大きな成功を得ることはできない」というたとえである。

虎の穴の中に入ったら、子どもの虎をつかまえることができるかもしれない。しかし中には大きな親の虎がいて、食い殺されてしまうかもしれない。「ハイリスク・ハイリターン」である。

個人や企業ならば、時としてそういう危険を冒さなければならない場面もあるだろう。だが、全国民の運命を握っているような為政者が、その国民の運命をかけるような博打をうつべきではない。そんな当たり前のことを、大日本帝国はこの先の戦争で証明してしまうのだ。

昭和天皇は明確に「対米戦回避」を支持すべきだった

栗原俊雄『戦争の教訓 為政者は間違え、代償は庶民が払う』(実業之日本社)
栗原俊雄『戦争の教訓 為政者は間違え、代償は庶民が払う』(実業之日本社)

ここで確認しておくべきは、天皇が木戸を通じてとはいえ、東条に9月6日の対米英戦決意を白紙還元するように指示していたことだ。昭和天皇は戦後、開戦の際に東条内閣の決定を裁可したことについて以下のように言っている。

「私が裁可したのは、立憲政府下における立憲君主としてむを得ぬことである、もし己が好む所は裁可し、好まざる所は裁可しないとすれば、これは専制君主と何ら異る所はない」(『昭和天皇独白録』)

しかし東条を首相に選んだ際は、その政府が決めたことを「白紙」に戻すように伝えているのだ。意思表示ができるならば、東条に「大命降下」すなわち首相指名をする際に、はっきりと「対米戦回避」を指示すべきであった。