※本稿は、ジョン・ルイス・ギャディス(著)、村井章子(訳)『大戦略論 戦争と外交のコモンセンス』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)の一部を再編集したものです。
独裁者同士の約束は長続きしない
1940年春、ドイツは電撃作戦によってわずか3カ月で、ドイツ皇帝の軍隊が四年かけてもできなかったことをやってのける──デンマーク、ノルウェー、オランダ、ベルギー、フランスを制圧したのである。
ついにマッキンダーとクロウの悪夢が現実のものとなったように見えた。
大陸を制覇する単一の「悪魔」の出現である。ヒトラーとスターリンはいまや「満州からラインまで」を支配し、取り乱した側近の一人はルーズベルトに「手を組んだ独ソは、かつてかの地を支配したチンギス・ハンと同じで、もはや食い止めることはできない。もしできるとすれば、それはヒマラヤ山脈だけだろう」と口走ったという。
だがルーズベルトは冷静だった。スターリンが長年にわたりヒトラーを資本主義的帝国主義者と見なしてきたこと、ヒトラーはヒトラーでスターリンを長年にわたりユダヤ人の世界的な陰謀の仲介役と見なしてきたことをルーズベルトは知っていた。
西部戦線におけるドイツの圧倒的勝利はソ連の独裁者をあわてさせたにちがいない、と彼は予想した。西ヨーロッパを手に入れたドイツが次に狙う獲物が何かは容易に想像がつく。そう考えれば、独裁者同士の約束は根付かないし長続きしない。
早晩彼らは相手を破滅させようとするだろう。そう読んだルーズベルトは、スターリンがいつでも入ってこられるように扉を開けておいた。ちょうど四〇年前にソールズベリー侯がアメリカのためにそうしたように。
参戦への布石…雇用創出の名目で軍増強
独裁者の同盟の結末をはっきりと予測していたからこそ、1940年春にヨーロッパで民主国家が次々に降伏しても、ルーズベルトの自信は揺るがなかったし、むしろ強まっていったのだと考えられる。
戦争が始まったとき、彼はアメリカが巻き込まれないように努力すると国民に約束した。だがルーズベルトのほうからウィルソン流の中立や思想の公平や感情の抑制を求めたことはない。それどころか、彼はすでに軍事協力についてイギリスと密かに協議していたし、フランスとも降伏するまで連絡をとっていた。