和服で外国訪問を続けた優等生の眞子さま
以上が「佳子さまの公務=山椒」説だが、もう一つ週刊新潮③についても考えたい。「佳子さまの迷走を正すべき」を前提に、そうできないのは秋篠宮さまの指導力不足、というのが週刊新潮の言い分だ。が、私は声を大にして、言いたい。万が一正すべきだとしても、できないのは秋篠宮さまのせいじゃない、皇室制度のせいだ、と。
説明のため、仮に「女性皇族は、外出を伴う公務をすればするほどよい」と置いてみる。それが正解だとするなら、眞子さんはとても優等生だった。
初めての単独公務は2008年4月、上野動物園の野間馬贈呈式で、まだ高校2年生だった。2015年9月にレスター大大学院を修了、その年の12月にエルサルバドルとホンジュラスを公式訪問、これが初めての外国公式訪問だった。
以後、眞子さんはパラグアイ(2016年)、ブータン(2017年)、ブラジル(2018年)、ペルー・ボリビア(2019年)と1年に1度は必ず外国を訪問している。ブータンを除くと、すべて中南米。遠い彼の地で眞子さんは必ず和服に着替え、挨拶したりパーティーに出席したりしている。
皇室にとって女性皇族は「結婚したら出ていく」だけの存在
このような公務への取り組みは、叔母である黒田清子さんがつくったものだ。1985年、高校1年で清子さんは、皇太子さま(現在の上皇陛下)と美智子さまと共に高校総体に出席。初の単独公務は1988年、大学1年の時だった。外国への初の公式訪問は大学卒業の3年後(1995年)で、行き先はブラジル。それ以来、結婚の2年前にあたる2005年まで、合計14カ国を公式訪問した。
叔母が歩んだ「内親王の公務」という道に、眞子さんは忠実だった。叔母の時代より皇室の構成員は減っているから、エース級の働きだったろう。そんな眞子さんだったが、学生時代から結婚を強く望み、出会った小室圭さんへの愛を貫いた。「皇室の外に出たい」という思いが根底にあったのは、今となっては明らかだ。
皇室典範12条は、「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」と定めている。女性皇族を規定するものは、これ以外にない。結婚したら出ていくことだけが決まっている存在。それが女性皇族で、別な表現をすれば、皇室典範は女性皇族に興味がないのだ。
私は長く組織で働いてきたので、「女性皇族が働く職場」という観点から皇室を見る。すると、眞子さんが一生懸命公務に励みつつも最初から「退職」を志向していた気持ちがよくわかる。自分に興味を持たない組織に、帰属意識など持てるはずがない。管理職になりたがる女性が少ないのと同じだ。