なぜ米国西海岸にはGAFAといった巨大テクノロジー企業が集結しているのか。ビジネス・ブレークスルー大学大学院の山根節教授は「シリコンバレーには、情報革命を勝ち抜く素質をもった天才たちが自由奔放に提案競争できる環境が整っている。その対極にいるのが日本だ」という。牟田陽子さんとの共著『なぜ日本からGAFAは生まれないのか』(光文社新書)より、一部を紹介する――。
ビジネスマンの通勤
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「良い常識人」は革命期の提案競争を勝ち抜けない

情報革命の中で、とりわけなぜシリコンバレーが勝利者になったのだろうか。

革命期には、新しく立ち上がった技術を使って我々の生活、それを支える社会、経済や政治構造を作り変えていく必要が生まれる。そこで起きるのが提案競争だ。

革新的な提案のできる人は「バカ者、若者、よそ者」の天才たちだ。なぜか。彼らはいわゆる常識を持たない。既成概念にとらわれず、今までとは異なる見方ができるからである。

日本のビジネスパーソンは「良い常識人」が多い。礼儀正しく、世の中の常識に固まっている。残念ながら、こういう人にイノベイティブな発想は生まれにくい。

提案はどれかが選ばれて勝ち残るが、他の大多数は死ぬ。つまり競争に成功するのはほんの一握り。多産多死のなかで勝ち抜いた者だけが生き残るルールである。

となると成功例を増やすには、大きな提案者の母集団を作る必要がある。母集団が大きければ、その中から成功者が多く生まれる理屈だ。シリコンバレーには夥しい数のベンチャーが立ち上がるインフラがある。それを最初に創ったのが、スタンフォード大学である。

スタンフォード大学の最初の成功例はHP

詳しい事情はシリコンバレーの本に譲るが、今から80年ほど前、スタンフォードは二流の大学だった。米国西部には企業が少なく、卒業生は就職のために東部に赴かざるを得なかった。そんな事情を変えたいと、同校の教授が大学院の学生二人に起業を勧めた。これが最初の成功例となる。ヒューレット・パッカード社(HP)である。

HPは1939年、指導教授の勧めで二人の研究テーマだった計測器を事業化するために設立された。その立ち上げ資金は教授が出してくれた。二人が創業したガレージは今も残され、ここが「シリコンバレー生誕の地」と公式に認定されている。

大学もこうした取り組みを強力にバックアップした。広大な敷地に、インダストリアル・パークを作り、ハイテク企業を誘致し、産学共同を推し進めた。そのパークの中に、ジョブズがインパクトを受けたゼロックスPARCがあり、NASAや半導体企業の研究所、そしてベンチャー・キャピタルも集まってきた。

シリコンバレーという名は、シリコンチップ(半導体)からだが、半導体の雄インテルなどの成功に由来している。こうしたプレイヤーの掛け算から、ベンチャーが大量に立ち上がるインフラができ、革命期の中で繁栄を遂げたというわけである。