治療方法を変えずに「再入院」が半分になった理由

広島で生まれ、大阪で学んだ山本が米子の地を踏んだのは2011年7月のことだ。とりだい病院で感じたのは各診療科の“垣根”が低いことだった。

「(大都市の大学病院と比べると)人が十分に足りていない部分もありました。それを補うためにみんなで協力しましょうという印象。かつていたところが協力していなかったというわけではなくて、とりだいではそれがより強く感じられた」

とりだい病院の循環器内科では、看護師、理学療法士、薬剤師など多職種が“チーム”として治療に関わっている。

「心臓を保護するお薬に血圧を下げる効果がありますって書かれているとします。患者さんは自分の血圧は下がったから飲まなくてもいいと勝手に解釈されてしまうことがある。その薬の効果は血圧を下げるだけではないのに」

このチームが動き出してから、退院した後に再入院する頻度が半分程度に減ったという。使用する薬、治療は何も変えていないにも関わらず、である。

「医者が患者さんを外来で診るのはせいぜい月に1回か2回。それも短時間です。それ以外の時間は患者さんがどのように過ごされているのか分からない。患者さんに治療の意味を理解して頂き、日常の生活でどれぐらい注意できるか。

現在の医療は進んでいるので、1人の医者がやれることは限られている。おのおの専門を持っているメディカルスタッフの特性を活かして、レベルの高い医療を行なう。そうでないと大学病院として求められる医療を提供できない」

その意味で、垣根の低いとりだい病院にはチーム医療になじみやすい土壌があると考えている。

「生まれ変わっても循環器の医者をやりたい」

とりだい病院の副病院長でもある山本は、病院全体のマネージメントにも携わっている。担当の一つは「働き方改革」だ。

やや古いですが、と山本は前置きした上でこう説明する。

鳥取大学医学部附属病院広報誌『カニジル 10杯目』
鳥取大学医学部附属病院広報誌『カニジル 10杯目』

「2012年においてOECD加盟国のうち、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデンを比較すると、人口1000人あたりの臨床医師はドイツが最多で4.0人。

日本は最低の2.3人。一方、人口1人あたりの外来診察回数は最小のスウェーデンが3.0人、日本は最多の13.0人。この数字が今、急激に良くなっているとは到底思えません」

それでも医療体制を維持してきたのは、現場の医師、メディカルスタッフが「サービス残業」をしていたからだ。

「ぼくらが新人のときは急性心筋梗塞の患者さんが運び込まれる度に呼び出されるのが当たり前でした。あのときは病院に入ってきた急性心筋梗塞のすべての患者さんの治療には何らかの形で関わっていました。それが当然だと思っていましたね」

月曜日から金曜日、土曜日は半日勤務。ときに日付が変わってからミーティングが行われることもあった。

「昔は場数を踏むことが情報を得る唯一の手段でした。今は情報を得られるツールがたくさんある。他の医療施設での事例を遠く離れていてもウェブ等で知ることができる。

あとはそれぞれがどこまで自己研鑽の時間を取れるか。ぼくたちの時代のように見て覚えろというのはもう通用しません。それはいい悪いというよりも時代ですから」

医師という仕事はまっとうにやればやるほど楽ではない。そして、生死に直結する循環器内科の医師は、助けられたのではないかという悔いを抱えながら前を向かねばならない。

生まれ変わっても医者になりますか、循環器内科を選びますかと訊ねてみると、山本は「そうですね、医者をやりたいです。たぶん循環器をやるでしょうね」と即答した。

米子での生活は10年半を超えた。この地で最も好きなのは、県境を越えた島根県の大根島の中海沿いを走っているときだ。

「道路が本当に海面と同じ高さなんです。横を見たら海がある」

中海の水面は穏やかで清らかである。この地が優しい自然に包まれていることにほっとするのだという。

山本 一博(やまもと・かずひろ)
1986年大阪大学医学部卒業。大阪大学医学部付属病院第一内科、大阪警察病院循環器科、米国Mayo Clinic循環器内科リサーチフェロー、大阪大学医学部第一内科、大阪大学臨床医工学融合研究教育センター特任教授を経て、2011年鳥取大学医学部病態情報内科学教授。2015年副病院長に就任。
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