魔法のような手術
そもそも「循環器内科」という単語を耳にしたことはあっても、正確に定義できる人間は医療関係者、当該患者以外では稀だろう。
循環器とは栄養物や酸素などを体内に運ぶ、そして体内から老廃物を集めてくる器官だ。心臓の他、血管、リンパ節、リンパ管が含まれる。循環器内科ではこれらの器官――主として心臓を扱う。
少々ややこしいのは心臓や血管の名前のつく診療科に「心臓血管外科」があることだ。
「病院によっては循環器内科を心臓内科と呼んでいるところもあります。学会が循環器という言葉を使っているので循環器内科を使うところが多い。
不思議と心臓血管外科は循環器外科とは呼ばない。ともかく心臓を扱う診療科は循環器内科と心臓血管外科の2つだけです」
内科は基本的に薬剤投与による治療、外科はメスなどを使った手術で治療すると区別されてきた。近年、特に心臓に関してこの区分が曖昧になりつつあると山本は言う。キーワードは「低侵襲」である。
開胸手術を行うと身体への負担――侵襲が大きい。侵襲を減らせば、手術後の回復も早く、社会復帰が容易になる。代表的な低侵襲治療が、ロボット支援手術、そしてカテーテル手術である。
カテーテルは〈体内に挿入し、液を注入、排出するための管〉の意である。医学の現場でカテーテル手術は、血管を伝って器具を患部まで運ぶ治療を指す。
「ぼくが大学を卒業する頃、カテーテル(の管)が太かったせいか、まだ外科もやっていたんです。それがだんだん細くなり今では内科がやることが多くなったという歴史があります」
医療に通じていない人間にとってカテーテル手術は魔法のように映る。
まずは手首か太ももの付け根に局部麻酔を行い、専用針で血管に穴を開ける。この血管内に「挿入シース」という「管」を使って穴を広げる。
医師はレントゲン映像を見ながらこの穴から、細く柔らかい針金状のガイドワイヤーを患部まで入れる。その後、ガイドワイヤーに沿わせてカテーテルを運ぶのだ。
例をあげると、心臓治療では経カテーテル大動脈弁留置術(TAVI)というカテーテル手術がある。
「人工弁を大動脈弁のところに置いてくる手術です。カテーテルを使えば、心臓を止めて胸を開けなくていい」
近年、医療の世界では「チーム」という言葉が多用される。循環器内科と心臓血管外科を合わせた「ハートチーム」もその一つである。とりだい病院のハートチームではTAVIは心臓血管外科が主導している。
「他のカテーテル手術のように、いずれ(TAVIも)内科医が中心にやっていくことになるかもしれない。カテーテルを使っていろんな治療ができるようになっています。将来は外科と内科の垣根がさらに不明瞭になっていくでしょうね」
心不全になりやすいのは高齢者という「誤解」
山本が心臓治療に惹かれたのは、「治療が上手くいけば、結果がすぐに出るから」だった。心臓はもっとも命に直結する臓器である。その重要性に比して認知が低いと感じることもある。
「心不全という言葉をよく使うことがあります。心臓が悪いことを指す場合が多い。したがって、医者にとって心不全というだけでは診断をしたことになりません。というのは心不全というのは病名ではなく、動いたら息苦しくなるといった状態のことだからです」
心不全の原因となる病名としては、前出の弁膜症の他、心筋梗塞、心筋症、心内膜炎、心臓腫瘍などがある。
心臓に関する疾患はすぐに症状が出ないことが多い。
「異常はずいぶん前から始まっていたけれど、無症状で気がつかない。病気が一定レベルを超えたときに初めて、息苦しさなどの症状が出てくる」
また心不全になりやすいのは、高齢者というのも誤解であるという。
「心筋症の中に、拡張型心筋症、肥大型心筋症などの種類があります。拡張型心筋症の正式な病名は、特発性拡張型心筋症。特発性とついているのは、現在の医学では原因が解明されていないという意味です。
日本ではこの拡張型心筋症の患者さんが、心臓移植治療を受けることが多い。心臓移植手術が保険適用されるのは65歳まで。ぼくが見た中では20歳前後の患者さんもいた」
心臓移植は亡くなった方の心臓を埋め込む手術だ。心臓移植手術自体は、心臓血管外科医が執刀。循環器内科は、移植手術までを担当する。
厄介なのは、心臓を提供するドナーが現れるまで待機しなければならないことだ。それまでは機械式補助循環装置――補助人工心臓を身体に埋め込むことになる。
「90年代の植込み型補助人工心臓は非常に大きかった。アメリカ人など体格の大きい方でなんとか入るぐらい。一般的に用いていた体外設置型の場合は、身体の外に補助人工心臓のポンプそのものが見えているような状態です。
また横に冷蔵庫のような駆動器を置いて管をつなぐ。家に帰るなんてことはできませんし、ずっと入院になる。何らかの合併症が起きてしまい移植手術にたどり着かないという方が非常に多かった」
施術するかどうかは、そのメリットとデメリットを鑑みなければならない。そのためかつては手術を選択するという決断は難しかった。
「今の植込み型補助人工心臓は小柄な日本人の身体にも埋め込めるぐらいの大きさになっています。外のバッテリーとつなぐ必要はありますが、担いで家に帰ることもできる。
合併症も減っており、昔と比べると患者さんのQOL(クオリティ・オブ・ライフ)は雲泥の差だと思います」
前述のように心臓移植を行うのは比較的若い患者が少なくない。支えるべき家族がある、あるいはまだ将来があるはずの人たちである。
「心臓移植適応の患者さん含め、心臓病の患者さんについては、今ある治療法が当時はなかった。あるいは、手順に則ってやっていたのに、非常に低い頻度だったはずの合併症が起きてしまったなど、期待に応えることができなかった患者さんの顔が頭に浮かんでくることがありますね」