プラトンは今を生きる私たちにどんなアドバイスをくれるだろうか。フランスで高校生が学ぶプラトン哲学の基本を紐解いてみよう――。

※本稿は、シャルル・ぺパン(著)永田千奈(翻訳)『フランスの高校生が学んでいる10人の哲学者』(草思社)の一部を再編集したものです。

プラトン像
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理想の天界を作り出したプラトン

プラトンは「イデア(=理想)の天界」を作り出した。プラトンによると私たちの住むこの世界は本当の世界ではない。「本当の世界」は別のところにある。私たちの頭上、「イデアの天界」には、理想が永遠の輝きを見せているが、地上にいるかぎり、このイデアを完全に自分のものとすることはできない。つまり、ルールは天上にあり、下界に生きる私たちはこのルールを多少なりとも意識しながら生きている。

プラトンの思想はまず、私たちがひとときを生きる「可感界(見たり触ったりできる具象)」と、永遠の命をもつイデアが生きている「可想界(頭のなかにしかない抽象概念)」を区別することから始まる。「可感界」において、人はそれぞれに異なる。大柄な人、小柄な人、臆病な者、勇敢な者、悪人も善人もいる。

だが、イデアの世界における人間の概念は一つしかない。こうあるべき人間というただ一つの理想的な人間像しか存在しないのだ。そして、この抽象的ながらも、明確な理想を基準とすることで、感覚的に生き、具体的なかたちで存在する人間、多様な人間を価値づけることができる。

プラトンは理想主義者

プラトンは天に理想を求める。プラトン哲学が理想主義と言われるのはこのためだ。ニーチェはプラトンを理想主義の創始者と位置づけた。ニーチェによれば、天と地を神と人の領分として区別するキリスト教は、プラトンの思想を借用したものなのである。

「可感界」は多種、多様、偶発性、相対性を特徴とする世界であり、非本質的な世界である。たとえば、それぞれに異なる台がある。応接間の低めのテーブル、背の高いテーブル、美しいテーブル、みすぼらしいテーブル、ナイトテーブル、手術台も広い意味ではテーブルだ。

一方、可想界では、一貫性、必然性、普遍性が価値となる。これこそがプラトンのいう本質的な世界であり、ここでいう概念は本質と言い換えられる。つまり、ここで問題なのはテーブルという概念であり、「物を載せられる平面に脚がついているもの」というテーブルの定義だ。テーブルとは何かを知るために、この世に存在する台状のものをすべて思い浮かべ、その詳細に目をこらす必要はない。ただ「上を見る」、つまり、矛盾するようではあるが、目を閉じ、可感界の煩雑さ、複雑さから遠ざかり、自身のなかに問いかけ、テーブルとは何かを考えてみるのだ。