被差別民の客が来れば、衣装に「非人の印」を縫いつけた

「床上手にして名誉の好きにて」と言われた夕霧は、化粧もせず素顔で素足、肉付きはいいのにほっそりとしとやかに見え、まなざしにぬかりがなく、声がよく、肌が雪のようだったそうです。実は初期の遊女は髪にかんざしもほとんどつけず、多くの人が化粧もしませんでした。飾りが一切いらないくらいの、本来の美しさをめざしていたのです。

夕霧はさらに琴、三味線の名手で、座のさばきにそつがなく、手紙文が素晴らしく、人に物をねだらず、自分の物を惜しみなく人にやり、情が深かったそうです。また三笠という名の遊女は、情があって大気(おおらかで小さなことにこだわらないこと)、衣装を素晴らしく着こなし、座はにぎやかにしたかと思うと、床ではしめやかな雰囲気を作ります。誰にでも思いを残させ、また会いたいと思わせる人でした。

名妓たちの良さとしてとくに強調されるのは、下の者に対するやさしさでした。夕霧は八百屋や魚屋がやってきても決してばかにすることなく、喜ばせました。三笠は、客の召し使いや駕籠かきにまで気を遣い、禿(遊廓で修行中の少女たち)が居眠りをするとかばってやりました。

金山という遊女は、ある被差別民の客が身分を隠してやってきてそれが噂になると、衣装にあえて欠け碗、めんつう(器)、竹箸、という非人の印を縫いつけ、「世間はれて我が恋人をしらすべし。人間にいづれか違いあるべし」と言い放ったというから見事です。人権派の遊女、というところです。吉野の話はすでに冒頭で紹介しましたね。遊女の魅力は第一に人間的魅力だったのです。

客と別れるための作戦

遊女は、ばかにされたらひっこまない、という強さも必要でした。客が他の遊女に惹かれた時は、ちゃんと理由を言って遊女の名誉を傷つけることなくきれいに別れる必要がありました。しかし時にはその遊女の欠点を探し(なかなか見つかりませんが)、それを理由に別れる客がいます。それを「口舌」と言い、卑怯なやり方です。遊女は自力で自分の名誉を守らなくてはなりません。

田中優子『遊廓と日本人』(講談社現代新書)
田中優子『遊廓と日本人』(講談社現代新書)

吉田という遊女は、ある客が口舌で別れようとしていることを見抜き、方法を考えました。吉田が座敷を出たところでおならの音がしたので、「これぞいい機会!」と客は喜びます。別れる理由にしようとしたのです。

しかし彼女が同じ廊下を歩いて帰って来た時、ふと立ち止まって迂回して座敷を回りました。客は「あれ?」と思います。さっきのは廊下のきしみだったのだろうか? 吉田は判断に困っている客に、「今日かぎり愛想がつきました」と自分から別れ話を切り出します。その噂は遊廓中に広まって客の方が面目を失ったのです。決着がついた後、吉田は「いかにも(おならの)こき手はこの太夫じゃ」と言い放ったのでした。

遊女は、誰にでも惚れているふりをするわけではありません。小太夫という遊女は客から、「惚れているという誓紙を書け」と言われましたが、言うとおりにしませんでした。

「あなたはたいへん良くしてくださるのですが、どういうわけか私はさほどに思えないのです。嘘をつくわけにいきません。惚れていない、という誓紙なら書きましょう」と言ったそうです。その後も二人はとてもいい関係が続きました。

やがてその客が遊廓通いはもうやめにする、という時、小太夫はその男性の紋を付けた着物を10枚作らせて贈り、遊女になった時から今日までのことを書きつづった「我が身の上」という文章を彼に捧げたのです。男として好きになれなくとも、嘘をつかず、世話になった恩は忘れず、長いあいだ別れの時の準備を怠らなかったのです。遊女と客の関係でも、男女の友情は可能だったのです。

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