裏付けられたFSBの謀略

このエピソードだけで、マンションの爆破がFSBの謀略だったことはほぼ確信できる。

だが、次の出来事を見るとその「ほぼ」すら消える。それは9月22日にリャザン市で起きたことだ。

ある民間マンションの住民が、怪しい人影を見かけた。彼らはマンションの地下にいくつかの袋を運んでいた。住民はすぐ警察を呼び、駆けつけた警察は爆発物とタイマーを見つけてマンションの住民に避難命令を出した。

同時にリャザン警察やFSBリャザン市局はテロ未遂で捜査を始め、一日のうちに市内にまだ潜伏していたテロリストを見つけて、逮捕した。

そして逮捕したテロリストがFSB所属であることが分かった。さらに翌日の23日には、モスクワで内務省総会が行われることになっていた。

登壇したウラジーミル・ルシャイロ内務大臣(当時)は「我が警察が昨日、リャザンで新たなマンション爆破を阻止することができた」と発言している。ということは、ルシャイロはFSBの謀略について知らされなかったのだ。

多くのロシア人はプロパガンダを信じ、プーチンを選んだ

ルシャイロ発言の30分後、同じ総会に出席したニコライ・パトルシェフFSB長官(当時)は慌てて会場から脱出し、報道陣営に向かって以下のように発言している。

「テロ攻撃が阻止されたわけではない。省庁同士の連絡がうまく行かなかったようだ。これは演習だった。袋のなかにあったのは爆発物ではなく、砂糖だった」。

つまり爆破が失敗し、FSBの職員が逮捕されたという報告を受けたパトルシェフは、爆破を起こしたのがチェチェンのテロリストではなく、FSBだったという事実がばれないように、「じつは演習だった」という新たな嘘を流したのである。

これらの経緯をすべて並べて考えると、一連のマンション爆破は、戦争の危機を煽動してプーチンを選挙に勝たせるための、FSBによる謀略だったということを疑う余地はないだろう。恐ろしいことに、FSBが謀略の実行中にこれほどのへまを重ねたにもかかわらず、謀略は成功し、プーチンの支持率は実際に上がり始めた。

多くのロシア人は国家のプロパガンダを信じ、対チェチェン戦争を支持してしまった。何万人もの民間人の死をもたらした第二次チェチェン戦争が、プーチン当選のかなめとなったのである。