デザイナーになってわかった、美術を学ぶ意味
大人になり、デザインの勉強をし、デザインの仕事をしているいまになってみると、美術を学ぶことは三つの意味があったことに気づきます。
ひとつ目は、表現の技術。デッサンやクロッキーから始まり、自分の頭のなかのイメージを世の中に具体化する技術。二つ目は、人類の社会やメディアの環境が変わっていくなかで、世の中を新たにとらえ直してきたコンテクストの理解、つまり教養。そして、三つ目は、自分の頭のなかのイメージを解像度高く知覚すること。
これらを通じて、自分なりの世の中に対する感性を積み重ね、自分なりの創造をしながら生きることを喜びにしていく技術ではないかといまでは理解できます。
「明日は今日よりも良くなる」かつては誰もがそう思っていた
僕の視点から私たちはどのような時代に生きているかを考えてみます。いまは、僕自身や僕たちの上の世代が生きてきた社会とは常識が大きく変わる時代だと思うからです。
日本は第二次世界大戦後、経済成長をずっと続けてきました。この時代を引っ張っていったのは科学技術であり、ビジネスの現場によって生まれた経済でした。「鉄腕アトム」や「ドラえもん」に代表されるように、科学技術は僕らの未来の可能性やワクワクを提示してくれるものでした。この時代においては、現在<未来であり、明日は今日よりも良くなるとみんなが思っていました。未来は、そのより良い姿をみんなが共通して見られるゴールのようなものでした。
現在<未来の時代では、いま我慢してでも、より良い未来のために努力する、つまり「頑張る」ことはとても重要でした。放っておいても成長する環境では、成功例をみんながまねるだけでも、人生がうまくいく確率は高く、真面目に他の人の成功例を学ぶ姿勢が成功のコツでした。僕自身をはじめ、学校の現場にいる先生や親、子どもたちの教育を考える人はそういう前提のなかで生きてきた世代です。