戦後の日本が歩んだ高度成長からバブルに至る時代の流れは、日本の歴史を見れば、非常にイレギュラーだった。有識故実家の髙山宗東さんは「時代の後半はいつもロストジェネレーション。低年金のうえに、「人生100年時代」などといわれて働かざるを得ない状況に追い込まれている地獄のような環境は、自らのスキルを見つめ直すいい機会だ」という――。
お米の価格上昇のイメージ
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「右肩上がりの時代」の終焉

40~50年前の昭和の終わり頃、老人といえば小金を持っているものだった。

普通に働いてさえいれば、右肩上がりで社会は成長し、給料も増え、貯蓄もでき、家や車も買え、退職金も出、暮らしていくには十分な年金も貰えた。

1971年生まれの筆者も、子供の頃はごくあたりまえに、齢をとれば多少なりとも裕福になるもの、と思っていた。

しかし、これが大きな間違いだった。いざ社会に出る齢になってみると、就職氷河期がはじまり、それが数十年にわたって続き、挙句の果てにゼロ金利、低年金があたりまえの世の中になった。

「右肩上がりの良い時代」を多少なりとも知っている人間にとっては、比喩的な意味ではなく、現代はまさに地獄……である。

昔からあったロストジェネレーション

「悪いめぐり合わせに生まれてきたものだ……」

バブル経済の崩壊後の1993年から2005年にかけて社会に出、厳しい就職環境から正規雇用の職を求めることが非常に困難だったロストジェネレーション世代――いわゆるロスジェネ世代の人びとの多くは、そう思っているに違いない。

しかし、本当にそうだろうか?

戦後の日本が歩んだ、高度成長からバブルに至る時代の流れは、日本の歴史を見れば、非常にイレギュラーだったことが解る。

奈良時代にはじまった律令制度は、公地公民制を謳いすべての良民に等しく口分田を貸し与えて、安定的な生活を営ませようとした。しかしこの理想は瞬く間に崩壊した。生活が安定して人口が増え、口分田が足りなくなったのだ。口分田がもらえない「良民」は、社会に絶望したことだろう。

足りない口分田を補おうと開拓を奨励したがために土地の所有を認めざるを得なくなり、公地公民制は脆くも崩れた。やがて荘園制の時代になると、荘園を有している大貴族や大寺院ばかりが力を持ち、国家が弱体化し機能しなくなった。そこに、暴力装置として武士が登場するわけだが、三つの幕府はそれぞれに、自らが抱えた事情で滅んでいった。

鎌倉幕府は「御恩と奉公」を謳い、幕府に協力(奉公)した御家人には領地を与える(御恩)というシステムで成立したが、外国の侵略を打ち払った後に、恩賞としての領地を与えることができずに滅んだ。

ふたつに分かれた皇室を融和に導く抜群の調停力で成立した室町幕府は、やがて自らの後継者争いさえ調停できなくなり、戦国時代を招いた。

戦国の混乱を収めた江戸幕府は、身分制度によって下の者が上の者を倒してのし上がる下剋上を阻止したが、これがために社会が閉塞し、やがては滅びの道を辿った。

いつの世も、「右肩上がりのいい時代」なんて、アッという間に終わってしまい、時代の後半はいつもロストジェネレーションなのだ。