NHK「ばけばけ」では、ヘブン(トミー・バストウ)が県知事の娘・リヨ(北香那)に好意を寄せられるシーンが描かれている。脚色はされているが、史実に基づいている。なぜ八雲は応えなかったのか。ルポライターの昼間たかしさんが、文献などから迫る――。
ラフカディオ・ハーン
ラフカディオ・ハーン(写真=『The life and letters of Lafcadio Hearn』より/Files from Flickr's 'The Commons'/Wikimedia Commons

八雲は“知事の娘の好意”に気づいていた

NHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」。ヘブン(トミー・バストウ)に対する、県知事の娘・リヨ(北香那)の求愛は約3週間にもわたって描かれることに。

放送第53回では、ヘブンの最初の妻・マーサ(ミーシャ・ブルックス)との回想も描かれ、異人種間結婚を禁じる州法を破ってでも結婚したが、妻を社会の偏見から守ることはできず別れた悲しい過去が語られた。そして「夫婦になってほしい」と語るリヨに対して「私は、1カ所にとどまれない人間なのです」と拒絶するのであった……。

史実では、リヨのモデルとなった籠手田淑子が八雲に結婚を求めたとは記されていない。ただ、八雲自身も淑子の好意には気づいており、後々もそれを気遣っていたようだ。それは、県知事の籠手田安定が新潟県に転任した後に、八雲が送った手紙の中で淑子のことを尋ねたことからも明らかだ。

ただ、それに対する籠手田の返事は、淑子は嫁にいったというものであった。(参考記事:だから「県知事の娘」は小泉八雲と結婚できなかった…ばけばけ“佐野史郎のモデル”が直面した法律の壁

では、なぜ八雲は県知事の娘からの好意に応えなかったのだろうか。ここでは資料をもとに、その実情を考えていきたい。

実のところ、八雲はモテないわけではない。史実の最初の妻であるマティ・フォリーと出会ったオハイオ州のシンシナティでは新聞記者として頭角を現している。後に移住したニューオーリンズでも、ますますその名声を高めている。文芸評論も書くかと思えば現場に出向いて事件報道も得意とジャンルは幅広い。

八雲の息子「父は実際以上に醜夫だと定め込んでいた」

特に八雲が得意としたのは、ブードゥー教やクレオール文化など、一般市民は興味を持つが、あまり近づきたがらないジャンルへの取材だった。社会の周縁、闇の領域に躊躇なく踏み込んでいく姿勢は、当時の新聞業界でも異彩を放っていた。

なにより、英語だけでなくフランス語も流暢に話せた。知性と好奇心、そして「異質なもの」への恐れのなさは、女性を引きつけるには十分な魅力だ。

しかし、当の本人は自分の魅力に全く気づいていなかった。長男の小泉一雄による『父小泉八雲』にはこう記されている。

私は、父ハーンは一生を通じて女性に対しては優しい男だったと思う。

だが、その「優しさ」の裏には、深いコンプレックスがあった。一雄は、息子の視点から父親の女性観をこう分析している。

彼は決してドンファンではなかった。第一自分を実際以上に醜夫だと定め込んでいた。彼はその身の不具を極端に醜悪なものとして恥ろうの余り、女性に対して非常に遠慮がちで、言い寄る可き場合をすら逸した男である。彼の恋はいつも夢の恋であった。幻を慕う恋であった。