自分からは決して踏み込めない男
そして、八雲が来日以前に出会った女性、エリザベス・ビスランドやレオナ・バーレル夫人、ベーガンことアンネッタ・アントナ夫人との恋をいずれも一雄は「肉体を離れた精神的な恋で、文章上での恋であった」と記すのだ。
八雲は、女性から好意を寄せられたときほど、急に自分の身体の欠点を意識してしまう。そんな男だったのだ。
ここで一雄は、そんな父の恋愛観を示すエピソードとして、マルティニーク諸島滞在中に親しくなった女性の話を語っている。この女性は熱病にかかった八雲を助けた一家の娘でエラ・コートニーといい、一雄の筆によれば「黒人の血はあるが、フランス系のむしろ白人に近い美人である。アレテア・フオレイや小泉セツよりは確かに綺麗な女である」という。しかし、この女性とも八雲は深い仲にはならず「二人の親愛の度は兄弟の如き関係」にとどまった。
では、県知事の娘・淑子はどうだったのか。彼女もまた、八雲に好意を寄せた女性の一人だった。しかも、過去の「夢の恋」や「兄弟のような関係」とは違い、社会的地位も教養もある、結婚相手として完璧な条件の女性だった。
しかし、淑子との関係は、エラ・コートニーのような「兄弟のような親しさ」にも、エリザベス・ビスランドのような「文章上の恋」にもならなかった。言い換えれば、八雲は淑子に対して、どんな形の関係性も築くことができなかった。あるいは、築こうとしなかったのだ。
「誰とも深く関わらない」
— 朝ドラ「ばけばけ」公式 放送中 (@asadora_bk_nhk) December 10, 2025
そう決めて、ずっと一人で、世界中を転々としてきたヘブンさん。
ヘブンさんが背負う孤独の深さを知り、リヨさんも錦織さんも言葉をかけることができません。#トミー・バストウ #吉沢亮 #北香那 #佐野史郎#ばけばけ pic.twitter.com/g0b7t5K9n8
「県知事一家の婿」が受け入れられない理由
確かに淑子は八雲に対して好意を示していた。父親の安定も尊敬できる人物である。それでも、八雲は深い関係にならなかったし、思い出を持ち続けることもなかったのだ。
その理由は、淑子が上流階級の出身であったことにほかならない。
八雲の幼少期は、家庭崩壊と貧困に彩られていた。アイルランドでもアメリカでも、彼は上流階級から疎外され続けた。彼にとって「家」や「家族」という制度は、安全地帯ではなかった。むしろ、人を縛り、型にはめる「檻」として機能してきた。
県知事家の婿になるということは、どういうことか。
松江の社交界に顔を出し、地元の名士たちと酒を酌み交わし、県の行事には県知事の娘婿として出席する。八雲の一挙手一投足が、籠手田家の名誉に関わってくる。「あの外国人教師」ではなく、「県知事閣下の娘婿」として振る舞わなければならない。
エラ・コートニーは熱病の八雲を看病した恩人の娘だった。エリザベス・ビスランドは文学を通じて心を交わした知的な友人だった。彼女たちとの関係は、個人と個人の自由な交流だった。誰に気を遣うこともなく、好きなように話し、好きなように付き合えた。
しかし淑子との結婚は、そうはいかない。
なにより、家庭というものを知らない八雲にとって、「家」は安らぎではなく、むしろ恐怖の象徴だった。彼の知る家とは、ギリシャで出会った若い母を、頼る者もいないダブリンへ連れてきてた挙げ句に捨てた父のいる場所であった。その母を、異民族・異教徒として蔑み続けた親戚たちの冷たい視線だった。八雲に残された「家族」の記憶は、愛情ではなく、追放と分断だけだったのである。
