未来のためにいま我慢して「頑張る」意義が消えた

それに対して、いま起こっているのは、このモデルの逆回転です。いまの13歳の人たちがこれから大人になっていく未来に予想されているのは、人口が減っていき、高齢者がより増えていき、世界的な気候変動による自然災害が予想され、進化するテクノロジーが人間の役割を奪いすぎるという難題ばかりです(もちろん、どんな世代にとっても同じ未来なのは言うまでもありません)。少なくとも、日本という国で生きる以上は、これらの社会課題が増えるなかで、手を打たない限り、課題はどんどん増えていくというのは、ひとつの事実です。

この環境においては、現在>未来となります。未来のために我慢するよりは、いまを楽しむほうがいいし、絶対的な正解がないのなら、自分なりの成功でいい。これが、いまの子どもたちが生きる前提なのです。

昔は、より良い未来に到達するためにいま「頑張る」ことに意味がありました。設定した目標を達成することが重要で、より良い未来が待っているなら、そのプロセスは苦しくても良かったのです。これは、予測のできる道のある未来です。

達成できなくてもいいくらい大きな夢を持つことが重要

しかし、これからは、未来は手放しにより良くなるものだとは信じられなくなりました。見通しのよくない環境では、具体的な未来像を描いて目標を設定することも不安なうえに、目標を絶対に達成しようと頑張ることも辛くなります。そうであれば、達成できなくてもいいくらい大きな夢を持った上で、そこに向かうプロセス=いまを楽しんでいく力を身につけることが重要なのではないかと思います。

昨今、なりたい仕事ランキングのなかには「YouTuber」が登場しますが、10年前に予測できた人はいないでしょう。僕も、いまは戦略デザイナーと名乗り、デザインファームの経営をしていますが、それも10年前には想像ができないことでした。

いくつもの職業がなくなり、大きく変わる可能性がある社会、10年先のことも予測できない世界で、職業を起点に叶えたい夢を語るのは現実味がありません。一般的な成功例ではなく、自分ならではの未来を描く。そして、自分のビジョンに対して、それぞれがいま感じている意味を語り、形にしたいというモチベーションから多様な学びが生まれる。これこそが、創造力の果たす役割であり、希望をつくる学びなのではないかと思います。