しかし、おかしな話ではないか。塀の中に閉じ込められて自由を奪われた僕が、塀の外で自由を謳歌しているはずの人たちから、人生相談を受けているなんて……。

「みんな塀の外で自由を謳歌しているはずなのに、どうしてそんなに不自由なんだ?」と不思議に感じることも、しばしばだった。

刑務所生活で、「自由とは心の問題だ」と僕は気づいた。だから塀の中にいても、僕は自由だった。環境的には不自由だったが、僕の頭の中にまでは誰も手出しができなかった。だから僕は、ひたすら考えた。自分のこと、仕事のこと、生きるということ、そして出所後のプラン。

思考に没頭している限り、僕は羽が生えたように自由だった。

有刺鉄線と曇り空
写真=iStock.com/kodda
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獄中生活で身につけた「スルー力」

さて、あなたは今、自由を実感できているだろうか。息苦しさに悩まされていないだろうか。そして、思考停止に陥ってはいないか。もし、それらの苦しみを感じているのなら、考えることをやめて「できない」と心を閉ざしているからだろう。

人は、考えることをやめたとき、後ろ手を回され鍵をかけられる。自由を奪われる。

そう比喩的な意味で。そして、思考停止に陥った人から、お金や権力に執着するようになる。僕はそうなりたくないから、考え続ける。

立ち止まってラクすることを選んだら、僕は僕でなくなる。あなただってそうだ。

易きに流されず、考え続けるためには、ストレスのない生活を送ることが第一だ。

ストレス過多な暮らしは、余計なエネルギーを浪費する。ストレスを溜めないためには、「やりたくないこと」「つきあいたくない人」を遠ざけるのがいい。僕なんて、過酷な獄中生活でも、ストレスフリーを目指し続けていた。

意外に思われるかもしれないが、獄中ストレスの9割以上は人間関係だ。

シャバでは出会うことのないような面倒くさいチンピラや、社会性が完全に欠如した人間などが大勢いて、こちらに喧嘩を売ってくることもあった。でも、無用なもめごとを起こせば、獄中生活がさらに不愉快になるし、仮釈放も遅れる。だから僕はスルーすることを目指した。劣悪な人間関係を乗り越えるには「スルー力」が必須だ。

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こんな話をしていると、よくこう聞かれる。

「獄中での仕事はストレスにならなかったのか?」

とんでもない。逆に、刑務作業(仕事)があったからこそストレスを跳ね飛ばして、なんとかやれていたように思う。