ようやく僕は、連日のバー通いから卒業した。仕事の合間を縫ってはスポーツジムに通った。広すぎる一軒家も引き払い、こぢんまりしたマンションに越した。

外食の回数も頑張って減らし、自炊に努めた。ダイエットにも励んで約10kgも体を絞った。メンタルも体も変えることに成功した。新しい彼女だってできた。

当然、仕事にも前以上のヤル気が出てきた。大阪近鉄バファローズ(現オリックス・バファローズ)の買収に名乗りを上げたのもこの頃だ。失うものがなく、孤独も克服できた僕は、超前向きになれたのだ。

誇張ではなく、「怖いもの」なんて何もなかった。「孤独」という人生の伏兵を乗り越えられたのだから、動じることはなかった。

孤独は「あがくこと」でしか乗り越えられない

振り返ると、僕はどうしても「家庭の父親」向きではなかったと思う。正直なところ、「我が子といて心底楽しい」とずっと思えたかどうかは自信がない。わがままと言われてもいい、僕は自分の人生の目標達成のほうに集中したかったのだ。

世の中を見ていると、「孤独」「寂しさ」への耐性が足りない人が多いように思う。寂しくなったら、誰かを頼ったり、依存したり……。もちろん、その気持ちは痛いほどわかる。僕だって、多くの友人、知人、彼女、たくさんの人に助けてもらった時期があるからだ。

とはいえ、そんな時期を長く続けていれば、自分自身がダメになってしまう。それまで味方になってくれた人たちだって、やがて離れていくかもしれない。1人で孤独を受け止めてこそ、やっと一人前の大人である。

どんな孤独も、「あがくこと」でしか乗り越えられないと思う。逆に言えば、我慢してあがくことで、孤独は乗り越えられるはずだ。

刑務所に届く「不自由な人生の相談」

そして、心の問題に関することがもうひとつ。刑務所暮らしをしていた頃のことだ。

「懲役2年6カ月」という日々は、僕にいったい何をもたらしたのだろうか。

いろいろな変化があった。たくさんの本を読んだり、高齢受刑者の介護など未知の仕事に取り組んだり、想定外の出来事だったが「獄中ダイエット」にも成功した。

そう言えば、メルマガの発行を継続するため、手書きで原稿を書いていたこともある。さまざまなビジネスプランを練っては、読者からの質問や相談に答えていた。

スタッフにブログ記事やツイッター投稿などをプリントアウトしたものを差し入れてもらいながら、情報をアップデートしていた。それまでとは比較にならない、超アナログのライフスタイルに逆戻りしていたのだ(笑)。