※本稿は、呉座勇一『軍師の日本史』(角川新書)の一部を再編集したものです。
官兵衛は信長の死を好機と捉えたか
備中高松城を攻囲中の羽柴秀吉のもとに、本能寺の変の報が届いた。傍らにいた黒田官兵衛が「天下を取る好機」と進言する。まさに「軍師官兵衛」を象徴する名場面である。
この逸話の原点は何か。比較的早い史料としては、元和7年(1621)から9年にかけて、秀吉に仕えた田中吉政の家臣川角三郎右衛門が著わしたとされる『川角太閤記』が挙げられる。同書によれば、官兵衛は「殿はお嘆きになっているようにお見受けいたしますが、御本心は違いましょう。めでたいことが起きましたから、博奕を打ちましょう。光秀と天下分け目の戦いをいたしましょう」と進言し、秀吉は「我が心と一つ」と笑ったという。
『黒田家譜』の記述はもう少し詳細である。おそらく『川角太閤記』など先行作品を参照しつつ肉付けしたのであろう。同書によれば、悲嘆にくれる秀吉に対して、官兵衛は「信長公のことは言葉もございません。お悲しみはごもっともです。しかし今は殿が天下を取る好機と存じます。明智光秀は主君を殺した謀叛人ですから、天罰を逃れることはできません。明智を討つことはたやすいでしょう。明智を滅ぼして後、信長公の二人のご子息を盛り立てていくことになるでしょう。しかしお二人には天下を治める器量はございませんから、再び天下は乱れましょう。この乱を鎮めれば、殿が天下を取ることができましょう」と献策し、秀吉も同意したという。
「ご運がひらけましたぞ」の出典
さて、本能寺の変の知らせが届いた時、官兵衛が「ご運がひらけましたぞ」と発言したというくだりも、小説やドラマではしばしば見られる。この発言の出典は何だろうか。
歴史研究家の渡邊大門氏は、著書『黒田官兵衛』(講談社現代新書、2013年)にて「「信長死す」の一報が秀吉のもとに伝わると、官兵衛は「これで殿(秀吉)のご運が開けましたな」と耳元でささやいたという。この言葉に込めた、官兵衛の真意のほどはわからない。官兵衛の言葉を聞いた秀吉は、官兵衛の大胆不敵さにかえって遠ざけるようになったといわれている。このエピソードは、近世初期に成立した江村専斎の『老人雑話』に載せる話である」と論じている。
ところが、私が確認した限り、『老人雑話』に該当のエピソードは見当たらない。

