中世の武士は陣形を用いていたと言われるが、どのように戦っていたのか。国際日本文化研究センター准教授の呉座勇一さんは「南北朝時代の軍記物『太平記』には、陣形が頻出するが、これは『太平記』作者が中国兵法書の知識を利用して施した脚色である。当時の軍隊には、小規模な武士団が多数含まれていたため、実際には隊列を組むこともなく、それぞれが周囲を出し抜いて手柄を立てようとしていた」という――。

※本稿は、呉座勇一『軍師の日本史』(角川新書)の一部を再編集したものです。

太平記兵庫合戦
太平記兵庫合戦(画像=国立国会図書館/PD-Art(PD-Japan)/Wikimedia Commons

武士たちは陣形をどこまで作っていたのか

やがて時代は中世へと移り、武士が社会の主役になる。武士たちは陣形を作ったのだろうか。

歴史研究家の乃至政彦ないしまさひこ氏は、『保元ほうげん物語』や『平家へいけ物語』に魚鱗の陣・鶴翼の陣の記述があることに注目し、12世紀後半段階で武士が陣形を用いていた可能性を指摘する。

しかし『保元物語』や『平家物語』は後代に成立した軍記物であり、作者が当時の実情をどこまで把握していたか疑わしいし、文学的脚色の恐れも拭えない。なお魚鱗の陣、鶴翼の陣は、中国の政治書『帝範ていはん』などに見える。

同様の問題は、南北朝内乱を描いた南北朝時代の軍記物『太平記たいへいき』についても言える。『太平記』には陣形として「魚鱗」「鶴翼」が頻出し、中国の兵法書『六韜』に見える「鳥雲ちょううんの陣」も登場する。これらを信用すれば、南北朝時代の武士たちは中国の兵法書を学んでおり、その知識に基づいて陣形を組んでいたことになる。