獄中で課せられる刑務作業は、「単純労働」であることが多い。大学時代、僕は「パン工場で仕分け作業をするバイト」で懲りたことがある。単純労働に絶望したのだ。

でも、「獄中」という特殊すぎる状況が、僕を一時的に変えた。僕は単純労働にやりがいを見出し、大きな喜びを感じていたのだ。

たとえば、東京拘置所では無地の紙袋をひたすら折っていく作業があった。与えられたノルマは1日50個。担当者から折り方を教わって作業を始める。

最初は「50個でいいの?」と軽く見ていた。だが、実際にやってみると、時間内にノルマをクリアするのもギリギリだった。そのとき、僕は「悔しい」と思った。

「どうすればもっと上手に、スピーディに折れるのか?」
「教わった折り方や手順にムダがあるのかもしれない」
「折り目をつけるとき、紙袋の角度を変えてみよう」

教わった手順を根底から見直し、試行錯誤を重ねた結果、3日後には79個も折ることができた。

これは心底楽しかった。久しぶりに大きな喜び、そしてうれしさを感じた。

言われた通りにこなすだけでは心は動かない

「仕事の喜び」とは、このように能動的なプロセスの中で生まれるものだと思う。言われた通りにこなすだけでは、心がこんなに動くことはない。

僕はこんな調子で、獄中でも「仕事」を楽しんでいた。

長野刑務所に移送されてからは、介護衛生係として働いた。高齢受刑者や障がいを持つ受刑者らの世話をする介護士的な仕事だ。掃除や洗濯から、散髪、髭剃り、入浴の補助、おむつの世話……。ひと通りこなせるようになった。

最初のうちは、積極的にやりたい仕事ではなかったかもしれない。とはいえ、高齢受刑者の体をうまく起こすテクニックを磨いたり、バリカンでの散髪のコツを体得したり、自分の成長を実感するのは楽しかった。

つまり僕は、獄中にいてもストレスを軽減しながら、うまく生きる術を身につけていったのだ。

心を不自由にさせているのは自分自身

もちろん、再び獄中に戻るのは、もうごめんだ。でも、僕はどんな環境に置かれても、ストレスをうまくかわしながら、自由な思考で生きていく自信がある。獄中よりも厳しい環境というのは、この世にあまりない気がする(笑)。

藤田晋、堀江貴文『心を鍛える』(KADOKAWA)
藤田晋、堀江貴文『心を鍛える』(KADOKAWA)

2年6カ月の懲役で、僕は成長できた。今、もし不自由さを感じている人がいるならば、収監されていた時期の僕のことを想像してみてほしい。

自由に出歩いたり、ネットサーフィンを存分に楽しんだり、好きなときに好きなものを食べたり……。いかに自由を享受できているかがわかるはずだ。あなたが今いくら厳しい環境にいようとも、刑務所の中よりも厳しい環境とは言えないだろう。

本稿も終わりだから、この際、はっきり言わせてもらう。

心を不自由にさせているのは、ほかでもない。あなた自身なのかもしれない。

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