※本稿は、堀江貴文『僕が料理をする理由』(オレンジページ)の一部を再編集したものです。
寿司屋に修業は要らない
どんなにテクノロジーが進化しても、人間にしか担えない役割は確実に残る。そのひとつが、「コミュニケーション」だ。
会話の間合いや空気の読み合い、相手の気分を察する力――こうした非言語的なやりとりは、AIでもそれっぽくふるまうことはできるが、リアルな人間関係の中で即興的に対応するのは、いまだに難しい。
料理の世界にも、同じことが言える。
僕は以前から「寿司屋に修業は要らない」と言ってきた。これは決して職人技を否定するものではない。むしろ、料理という行為の本質を「接客」だと捉えているからこその発言である。
寿司を握る職人に求められるのは、手先の技術だけではない。目の前の相手の気分やテンションに合わせ、絶妙なタイミングで一貫を出し、その場に合わせた軽やかな一言を添える。
その仕事は、スナックのママが行っている接客と、構造的にはほとんど変わらない。料理という形で人と関わるか、酒と会話で人と関わるか――違いはそれだけだ。
料理スキルよりコミュニケーション力
実際、僕がプロデュースしている焼肉店「WAGYUMAFIA」でも、料理人としての経験よりも、コミュニケーション力のある人材を優先して採用している。
調理技術はあとから教えることができるが、人と心地よくやりとりする力は、短期間で習得できるものではないし、マニュアル化するのも難しい。
とはいえ、コミュニケーションが「属人的な才能」によってのみ支えられるかといえば、そうでもない。一定の仕組みや演出によって補うことは可能だ。
たとえば「WAGYUMAFIA」では、「いってらっしゃい」という声かけや、SNSでの写真撮影をお客さんに促す流れまでをすべてオペレーション化している。誰が対応しても、一定以上のホスピタリティーが担保されるような設計にしている。

