米国公認会計士の午堂登紀雄さんは、コンビニ店長から外資系コンサルに転じ、不動産投資の分野で起業した。「キャリアの分岐点でいろいろ迷ったり悩むこともあるだろけれど、結局どれを選んでも同じ。50代になってそう思うようになりました」という――。

※本稿は、午堂登紀雄『「やりたいこと」が見つかる思考のヒント』(学研プラス)の一部を再編集したものです。

アスファルトに描かれた矢印の先は二手に分かれている
写真=iStock.com/Zbynek Pospisil
※写真はイメージです

やりたいことが見つからないことは「不幸」なのか

最近、多くの人が「好きなことをやったほうがいい」「やりたいことやろう」というメッセージを発信しています。大人たちは、子どもに向かって当たり前のように「将来は何になりたいの?」「夢はなに?」などと聞いています。

そのため、こんなふうに考えている人がいるかもしれません。

「やりたいことを見つけないといけない」
「やりたいことがないのは、人としてみじめだ」
「やりがいを感じられない人はかわいそう」
「夢がない人はみすぼらしい」

ここで認識していただきたいのは「やりたいことがないからといって、それは別に悪いことではない」ということです。

そもそも「やりたいことが見つからない人は不幸だ」などと言っているのは誰でしょうか? 実際には、誰もそんなことは言っていないはずです。

ただ、世の中の成功者が「やりたいことをやれ」「天職を探せ」「夢はでっかく持て」などと言うものだから、なんとなく「やりたいことがない自分はみじめだ」とか「やりたいことを探さなきゃいけない」などと勝手に自分を追い詰めているだけなのです。

「やりたいこと」よりも大事なこと

むろん「やりたいことがある」という状態が理想なのは間違いないと思います。やるべきことが明確だから迷うことも悩むことも少ないし、毎日が楽しく充実します。私もそういう時期はありました。

ただし、好きなことで突っ走れる生活は、それが永遠に続くわけではありません。恋愛のドキドキがずっと続くことはないように、仕事や趣味でも最初のようなワクワクは長期間は続かない。同じことを繰り返していれば飽きるように、人間はいつかは慣れるからです。

それに、大人にとって「やりたいことがない」のは不幸ではなく、むしろ平穏である証拠だと思います。

会社では多くの人たちが「自分に与えられた仕事をしっかりやる」という責任感を動機にして働いています。

特にやりたい仕事でなかったとしても、周囲から信頼され、それなりにお給料をいただければ、そこに自分の居場所があると感じられ、充足感も得られます。

「生活のために働く」「家族のために働く」という人も、やはり「生活を成り立たせるのは自分の責任」「家族を養うのは自分の責任」という責任感で働いているでしょう。

仕事がそれほど面白くなくても、人間関係が平穏で、そこに自分の居場所を確保できれば安心できますし、周囲から期待されればその仕事に誇りや使命感を持てるようになる。それが充実感となる。

どんな仕事であっても、当事者意識を持って取り組み、周囲に認められ「あなたのおかげです」「あなたがいてくれて良かった」と言われるようになれば、そこにやりがいを見い出せるのです。