50代になって気づいたこと

私自身、これまで「やりたいことをやろう」「好きなことをやろう」と主張していた人間の一人ですが、言葉の使い方を間違っていたような気がします。

より正確に言えば、「興味を持ったらとりあえずやってみよう」「それでもし夢中になれたら、それに没頭しよう」「飽きたり疲れてきたら、やめてしまおう」ということではないかと思います。

やりたいことをやっている瞬間瞬間は確かにとても楽しく充実するのですが、前述の通りそれがいつまでも持続するとは限りませんし、最終的な幸福につながるとも限りません。

私自身もいま、特にやりたいことはないのですが、毎日に充足感を感じながら生活しています。

自分が20代の頃には理解できなかったと思いますが、50代のいまならわかります。人は、やりたいことがなくてもやりがいを感じられなくても、幸福に生きることができるということに。だから「やりたいことに出会えれば理想、出会えなくても問題ない」のです。

川の流れに逆らうか、流れに身を任せてみるか

私が最近感じていることは、人生とは大きな川の流れのようなものであり、どの川を選んでも、あるいは別の川に乗り換えたとしても、最終的に行き着くところは同じということです。どんな紆余うよ曲折や挫折があっても、結局は誰もが「老後」「余生」という海に辿り着きます。

なかには生涯現役の人もいるでしょうし、晩年はずっと病床で過ごす人もいるかもしれません。ただ、ほとんどの人は最終的には働けなくなり、あとは死を迎えるだけの、ゆったりとした静かな生活を送ることになります。

人は何の肩書も立場も持たない一人の人間として生まれ、途中では様々な肩書や立場を得るものの、最後は再び何の肩書も立場もない人間に戻り、この世を去る。

隅田川や江戸川、多摩川を流れてきた水も、最後は東京湾という同じ海に行き着きます。鶴見川や荒川を流れてきても、やはり同じく東京湾に出ます。

「時は還らざる川のごとし」という言葉があるように、この世に生まれ落ちてしまえば自動的に時間は流れ、どんなに立派な偉業を成し遂げたとしても、平凡な生活だったとしても、誰も皆同じように歳をとっていき、最終的には大海に流れ着き、そこにプカプカ浮いているだけ。

どの川を選んでも、自分なりに一生懸命やっていれば、海に出たあと(老後)に自分の人生を振り返ったとき、それなりに納得できるはず。

そうであるなら、無理して川の流れに逆らわず、流れに身を任せて行くのも悪くない。そう思うようになったのです。