「イギリス陰謀説」を“定説”として紹介

ミャンマーの民族問題も、もちろん大英帝国の植民地政策がつくり出したものにほかならない。そして、笹川会長によれば、「アウン・サン・スーチー女史の父のアウン・サン将軍自身、イギリスのインテリジェンスに殺されたと言われています。にもかかわらず、スーチー女史はイギリスに留学し、イギリス大好き人間になっているんです。」(*6)

ちなみにアウン・サン将軍がイギリスの諜報機関によって殺害された、というイギリス陰謀説は、決して歴史検証を経た定説ではない。実行犯は、親日派で、アウン・サンの政敵であり前首相のウー・ソオの一味であった。その背後にイギリス人がいた、というのは、証明されていない。だが笹川会長は、この(故アウン・サン派のビルマ人を中心とした)ミャンマー人の間に流布している陰謀説を定説として紹介するだけでなく、しかもその逸話を通じて、親欧米的なアウン・サン・スーチーへの違和感を暗に吐露する。

ここで特徴的なのは、欧米諸国への懐疑心を隠そうとしない笹川会長が、歴史観において戦前の日本に親和的な点である。ミャンマー国軍の淵源が大日本帝国時代に反英工作をしていた「南機関」にあることを誇るのは、笹川会長以外の右派系の方々に広く見られる傾向である。笹川会長の場合には、それだけではなく、「インドの国軍というのはまさしく日本人がつくった」とも断言する(*7)

ロヒンギャ問題についての笹川会長の見解

こうした傾向は、笹川会長において、土着主義とも呼べるアジア主義と結びついていく。たとえばイスラム世界は、その際に、アジアの一部ではない。そこでロヒンギャ問題などをめぐっても、どうしてもビルマ人中心主義的な見方になる。笹川会長は、国際的に共有されている見方に挑戦するかのように、次のように述べる。(*8)

ミャンマーでは『ロヒンジャ』と読みますが、一切使われていません。『ベンガリーズ(ベンガル人)』と呼んでいます。ベンガリーズの多いラカイン州には、もともとイスラム教徒が住んでいました。その人たちは仏教徒と普通に生活していますよ。問題なのはバングラデシュから渡ってくるベンガリーズです。

ミャンマーの人たちはベンガリーズを非常に怖れている。ミャンマーの国民ではなく、市民権も持っていないし、いちばんの問題は人口増なんです。一家族32人なんていう人たちもいる。ラカイン州はいずれ彼らに占領されるんではないかという恐怖心があるんです。今回の問題(2017年8月)はベンガリーズの過激派が警察を襲って、それを軍が出動して退治に行った。追いかけていくうちに過激派が人民のなかに紛れちゃったんです。今はバングラデシュとの間で話がついて、証明書を持っている人から入れていこうとなっています。(後略)

笹川会長の説明からは、ミャンマー国軍系の武装集団の虐殺行為、それに起因する100万人ものロヒンギャ難民の発生、限定的な形でしか「証明書」が発行されていないためほとんどのロヒンギャ難民が帰還できないこと、などの点は、すっぽり抜け落ちている。