怒りを持って立ち向かった過去もあるはず
笹川陽平会長は、若い時分に、倒産した会社の破産管財人として「乗っ取り魔」と言われた横井英樹氏に立ち向かった経験を持つ(*17)。父・良一氏に、資金をだまし取る詐欺師たちと縁を切れ、と迫ったこともある。日本船舶振興会を乗っ取ろうとして陽平氏自身の追い落としも図った、私腹を肥やしていた元部下たちに、解雇を宣して、訴訟対決も辞さず、対決したこともある。陽平氏もまた、これまで何度も悪と思われる人々に、怒りを持って立ち向かってきたのではなかったか?
陽平会長の父・良一氏は、決して「沈黙の外交」などを美徳にしていなかった。時には軍部に抗して大政翼賛会を批判し、時にはガーナ大統領を叱責し、それでも自らの信じる道を貫こうとした人物だったのではなかったか?
「沈黙の外交」は、「差別との戦い」とは違うものだろう。だがもし「沈黙の外交」が「差別との戦い」ではないとしたら、いったいそれは何なのか。結果責任は、誰が、どのようにとるのか。
長期的国益を見据えても「沈黙」は妥当なのか
われわれ日本人は皆、笹川会長が代表し、日本政府全体で実践している「沈黙の外交」に、責任を負っている。われわれが沈黙している間にも、数多くのミャンマーの人々が殺され、拘束されている。もちろん制裁したからといって、すぐに何かが変化するわけではないのは確かだろう。だがそれは「沈黙」についても同じだ。沈黙したからといって、すぐに何かが変化するわけではない。
果たして本当に全てのミャンマー人に寄り添う気持ちで、日本の長期的な国益を見据えたうえで、政策責任者が自らの結果責任を引き受ける、という覚悟を定めて、政策を決定し、遂行しているのか。
ミャンマーで起こっている厳しい現実を目にして、もちろん誰にも、何をどうすればいいのか、という「答え」はわからない。しかし、だからこそ明らかにしておかなければならない。われわれ日本人は皆、日本の「沈黙の外交」に、責任を負っている。
(*1)「モーターボート競走法」第31条(収益の使途)
(*2)日本財団公式サイト「ミャンマー支援プログラム」
(*3)日本財団公式サイト プレスリリース「ミャンマー国民和解担当日本政府代表・笹川陽平の談話」(2018年12月21日)
(*4)テレビ朝日 報道ステーション「キーマンに聞く“ミャンマーの今”」(2021年11月25日放送)での発言
(*5)伊藤隆(編)『ソーシャル・チェンジ 笹川陽平、日本財団と生き方を語る』(中央公論新社、2019年)P.283
(*6)伊藤(編)『ソーシャル・チェンジ』P.274
(*7)伊藤(編)『ソーシャル・チェンジ』P.276
(*8)伊藤(編)『ソーシャル・チェンジ』P.289~290
(*9)高山文彦『宿命の子 笹川一族の神話』(小学館、2014年)P.24
(*10)高山『宿命の子』P.57
(*11)笹川陽平「川端康成と笹川良一」『総合教育技術』44(13)1989年、P.18~19
(*12)高山『宿命の子』P.20
(*13)高山『宿命の子』P.50
(*14)笹川陽平『愛する祖国へ』(産経新聞出版、2016年)P.97~98
(*15)笹川陽平ブログ「『ミャンマーでクーデター』―国軍司令官に全権―」(2021年2月2日)
(*16)笹川陽平ブログ「『沈黙の外交』―ミャンマー問題―」(2021年5月13日)
(*17)「横井英樹対笹川陽平(良一二世)の対決 富士観光をめぐる攻防戦のゆくえ」『財界展望』1972年2月号、P.118~123