令和日本の「名誉の階梯」を再構築せよ

それでは、令和日本にあっては、筆者が指摘した「名誉の階梯」は、どのように構築し直されるべきか。一つの考え方としては、前に指摘したような勲章制度の現状を改め、折々の功績に即して二、三十歳代からでも勲章授与の対象にすることである。平成十五年の制度改正は、結局のところは「平等主義」の論理を制度に色濃く反映させるためのものであって、「名誉の階梯」としては全く機能していない現行叙勲制度の不備を根本的に正すものではなかった。

折しも、米国MLB(メジャーリーグ・ベースボール)で今季MVP(最優秀選手賞)に選ばれた大谷翔平(ロスアンゼルス・エンジェルス所属)には、国民栄誉賞授与が打診されたものの、彼は辞退したと報じられた。大体、国民栄誉賞は、スポーツや芸能の世界の著名人士を対象としているという意味で「セレブ」を顕彰する枠組としての性格が濃厚であるばかりか、その授与対象となった著名人士の当座の人気に便乗しようという折々の政治思惑が反映されやすい枠組である。

仮に勲章制度が「名誉の階梯」として機能していれば、大谷のようなケースに際しては、現下の機に勲三等か勳四等に相当する勲章を授与し、彼が今後も活躍を続け無事に現役を退き、引退後も「社会に規範を示す」活動に携わるならば、その折々にさらに上位の勲章を授与していくという仕方は、当然のように考えられたであろう。

大谷が「大谷卿」と呼ばれる日

大谷翔平という偉才の活躍が野球を通じて「社会の善」、「日本の声望」、あるいは「日米関係」への貢献に結び付いているのであれば、彼を適宜、「エリート」として遇することは、今後の日本社会の有り様を展望する上では、重要な意味を持つことになろう。

大谷のような偉才に関しては、「年棒を幾ら得るか」などという「セレブ」次元の視点で物事を語らないことが、日本社会の「品位」を占う上で大事になってこよう。加えて、有功の人々に「サー(Sir)」や「ロード(Lord)」といった称号が与えられる英国の事例に倣えば、前に触れた「名誉の階梯」の再構築に併せ、大谷のような偉才を先々に「大谷氏」や「大谷さん」ではなく「大谷卿」と呼び習わす社会的な合意が出来上がれば、「誰が社会全体として尊敬に値する人々であるか」は、明瞭な体裁をもって認知されることになるであろう。こうした仕組を一つひとつ、構想していくことが、大事なのである。