現在進行形の尽力や功績を顕彰の対象に
そして、二、三十歳代からでも勲章授与の対象にするということは、現役世代の人々による現在進行形の尽力や功績をも適宜、顕彰の対象にすることを意味している。
たとえば、特に平成期以降の日本は、「国際貢献」を一つの大義にしていたけれども、その大義の下で海外に派遣され過酷な任務に携わった自衛隊関係の人々、あるいはJICA(国際協力機構)や国際交流基金を含めて「国際協力」や「国際交流」の第一線で活躍した人々は、どのような名誉をもって遇されたのか。
また、阪神大震災や東日本大震災のような自然災害が頻発する中では、災害救助対応の現場で精励した自衛隊、警察、消防関係の人々には、どのような敬意や謝意が払われたのか。加えて、現下の「戦時」とも評すべきパンデミック最中の対応に際して、その対応の最前線で精励する医療職や看護職の人々の尽力には、日本社会は、どのように報いるのか。ワクチンや新薬の開発に成功した研究職や技術職の人々が登場すれば、彼らの功績は、どのように称えられるべきか。
こうした尽力、功績や貢献は、その都度に顕彰の対象とされなければ、「何が社会全体として尊敬や感謝を示すに値する行為であるか」は世に伝わらない。それは、「高い報酬や厚い待遇を提供する」という次元で語るべきものではない。「名誉の階梯」の不備は、日本社会における「真善美」の基準を曖昧にすることを促している。その不備が早急に正されるべき所以が、ここにある。
二〇二〇年七月、エリザベス二世(英国女王)は、トーマス・ムーア(英国陸軍退役大尉)をナイト・バチェラー(勳爵士)の地位に叙した。ムーアは、齢九十九にしてパンデミック下に医療支援のための募金活動に乗り出し、日本円にして実に五十億円相当近くを集めたけれども、女王は、そのムーアの気概と功績に即時に報いたのである。
女王の姿は、「帝国の栄光」が遠くに去った現下の英国において、「名誉の階梯」の枠組が確りと機能している事情を示す。それは、近代以降に永らく英国に範を求めた日本にとっては、再びもって銘すべき挿話であろう。