パウエルの評価にみる米国の政治分断
10月18日(米国東部時間)、コリン・ルーサー・パウエル(ジョージ・W・ブッシュ政権期、米国国務長官)の逝去が報じられた。ジャマイカ系にして初の統合参謀本部議長、国務長官の要職を歴任したパウエルの逝去に際しては、米国でも党派を超えた弔意が向けられた。
ジョセフ・R・バイデン(米国大統領)は、「この国の魂のために共闘できたことに絶えず感謝している」と語った。パウエルが仕えたジョージ・W・ブッシュは、「多くの大統領がパウエル氏の助言と経験を頼りにしていた」と述懐した。こうした弔意とは裏腹に、パウエルの逝去に際し、批判の言辞を発したのが、ドナルド・J・トランプ(米国前大統領)である。
『AFP通信』記事(日本語電子版、10月20日配信)は、トランプがパウエル逝去を受けて発した声明の中で、「パウエルの訃報が、『フェイクニュースメディア』で美しく扱われているのを見るのは素晴らしい。いつの日か私もそうしてもらいたいものだ」と揶揄したことを伝えている。こうした米国政治主流とトランプにおけるパウエル評価の乖離は、そのまま米国社会における政治「分断」の相を表している。
筆者は、永らくパウエルの熱烈なファンを自認していた。本稿で筆者は、そうした個人の信条を踏まえてパウエルが生きた米国の意味を雑駁ながら考察したい。