日本人にとっての「湾岸敗戦」の衝撃とパウエル

スペイン史上、ミゲル・デ・ウナムーノ(哲学者)を代表として、1898年の米西戦争敗北によって露わになったスペインの「後進性」に衝撃を受けて、20世紀初頭に活躍を始めた知識人は、「1898年の世代」と呼ばれる。その伝でいえば、筆者は、「1991年の世代」である。

1991年1月に勃発した湾岸戦争に際して、日本政府が行った130億ドルに及ぶ資金拠出は、結局、「カネだけ出して済ませる」という評価を得ただけに終わり、その顚末は、「湾岸敗戦」といった言葉で語られた。筆者が位置付けるところでは、「1991年の世代」とは、その「湾岸敗戦」の衝撃を受けて、小澤一郎(衆議院議員)が「普通の国」と呼んだものに日本が脱皮することを説くようになった一群の人々のことである。

「1991年の世代」の「原風景」を彩るものの一つが、「湾岸戦争の英雄」と称されたコリン・L・パウエルの姿であった。往時、日本の自衛隊の海外派遣が語られる中で、その議論に「戦前の亡霊」を持ち出して抵抗する向きは強かった。パウエルの姿は、「民主主義国家における武官とは、どのような存在か」を鮮明に伝えた。以来、筆者にとっては、パウエルは、「理想の武官」の典型のような存在であったのである。

パウエルの逝去の翌日に公示された衆議院議員選挙の結果、自民・公明両党に日本維新の会を加えた「改憲勢力」が衆議院議席の3分の2を占めることになった。今後の政局の動向次第では、日本の「普通の国」への脱皮も、現実の日程に上ることになろう。そして、日米豪加各国や西欧諸国のような「西方世界」諸国と中国との確執が深まる中では、日本は、軍事を含む安全保障上の役割を従前よりも広範に担うことになるのであろう。

その折にこそ、「民主主義国家における武官とは、どのような存在か」を示し、自由や民主主義に絡む「価値観の配達人」たちを率いたパウエルの姿は、日本にとっては、一つの亀鑑きかんになるであろう。これもまた、日本が対米同盟関係を通じて手にし得た一つの「恩恵」である。(文中、敬称略)

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