イラク戦争開戦の判断は「生涯の汚点」
実際、パウエルは、ケナンとの交誼を結んでいた。2004年2月、パウエルは、プリンストン大学構内で開催された「ケナン百歳誕生日を祝う会合」に顔を出し、誠に興味深いスピーチをした。
スピーチに拠れば、国務長官就任直後にケナンから様々なアドヴァイスの詰まった手紙を受け取ったパウエルは、定期にアドヴァイスをしてくれるようにケナンに要請したところ、ケナンは、「もう97歳だよ……」と一旦は断ったものの、3カ月後に再び手紙を寄越したというのである。パウエルが「笑い」とともに、このエピソードを紹介しているところに触れれば、ケナンとパウエルの遣り取りは、だいぶ、ほのぼのとしたものであったように推察される。
パウエルがイラク戦争開戦に向けて歯車を回した自らの判断を「生涯の汚点」として悔いたのも、それが往時のイラクの大量破壊兵器保有に絡むインテリジェンス部門の「誤った情報」に拠る「誤った政治判断」であった事情も然ることながら、それが米国の「美風」に照らし合わせて相容れぬものあった事情にも因るのであろう。ジョージ・W・ブッシュ政権下、イラク戦争開戦を主導するなどの影響力を持ったのは「ネオ・コン」と称された勢力であったけれども、パウエルが政権一期で去った事実は、彼と「ネオ・コン」との認識の懸隔を示している。
トランプが象徴する米保守主義思潮の「堕落」
ところで、筆者が永らくコリン・L・パウエルのファンであった所以は、彼がジャマイカ系として米国社会の「マイノリティ」に位置しながらも、米国の「公益」に明白に貢献しつつ、前に触れた米国の「美風」や「品位」を「マジョリティ」以上に体現する人物であったことにある。
米国の保守主義思潮は、元々、ジョージ・F・ケナンが「ニュー・イングランドの文明」と呼んだものに淵源を持ち、特に「マジョリティ」としての白人プロテスタント層の価値意識に根差した「美風」や「品位」を護持する趣旨のものであった。
パウエルが属していた共和党は、そうした保守主義の精神に裏付けられた政党であったはずである。けれども、現下の共和党は、「『マジョリティ』であることにしか自尊心の拠り処を持たない」白人層の感情の受け皿に変質してしまっているところがある。
ドナルド・J・トランプは、そうした「変質」を象徴する人士であった。トランプの振る舞いの何処に、誠実、中庸、平静、謙譲といった価値に表れる米国の「美風」や「品位」を感じることができたであろうか。トランプは、白人層の不満や遺恨の感情を煽った結果、彼らが体現してきた価値意識の基盤を決定的に侵食したのである。そこには、共和党の有り様に影響を与えてきた保守主義思潮における「堕落」の相が表れる。