人力車が走る土地そのものが「職場」
えびす屋など「観光人力車」のサービスを提供する企業の尽力によって、人力車を観光地で見かけることは珍しいことではなくなった。しかしその一方で、人力車に対して「交通の邪魔になる」「車夫の客引きを不愉快に感じる」などのネガティブな印象を持つ人も一定数存在する。
東京・浅草では一部の人力車の強引な客引きなどに周囲から苦情が出たことから、見かねた地元の商店連合会とえびす屋が他の人力車業者に呼び掛けて「浅草車夫連絡会」を発足させ、秩序維持に取り組んでいる。現在加盟する20の事業者には、強引な客引きの禁止や、道路を通行するときに他の車両や歩行者を優先すること、コースと料金を事前に明示すること、などを求めている。
中山さんは「『車夫として恥ずかしくない振る舞いをしているか』と常に心の奥で意識している」と話す。
「地元に貢献するために車夫全員が毎日取り組んでいるのが、嵐山の掃除です。人力車が走るルートを中心に、社屋の周辺を毎朝掃除し、ゴミが落ちていれば必ず拾う習慣が車夫全員に染みついています。私は嵐山の近くに住んでいますから、地元の人は私の顔を見れば『車夫のおっちゃんや』とわかる。迷惑行為をすることは考えられません」
えびす屋は、観光人力車のメインルートの「目玉」とも言える「竹林の小径」を数年前に自社で整備し、歩いて竹林を見る観光客の邪魔にならないよう、人力車専用の道を作った。他にも地域のイベントやボランティア活動には積極的に車夫や職員が参加し、地域に人力車という存在を受け入れてもらい続けるための努力を続ける。
「私たちの仕事は、嵐山というこの土地と、地域の人々の応援がなければ絶対に成立しません。デパートで働く人にとって売り場のフロアが職場であるように、私たちにとっては嵐山の地域そのものが、かけがえのない職場なんです」と、職員の笹井さんは語る。
若い人への「手本」ではなく「見本」に
車夫の仕事の魅力とは何なのか。最後に改めて尋ねると、中山さんはこう述べた。
「この仕事をしていると、毎日毎日、本当にぜいたくな場所で働けているな、と感じるんです。嵐山はご覧のとおり、本当に自然が美しい場所です。四季折々に姿を変化させる景色と、日本文化の真髄ともいえるような歴史に触れ合いながら、毎日働けるんです。20年以上この土地で人力車を引いてますが、そのぜいたくさには、今も感動しています」
コロナのあおりを受け、嵐山も例外なく観光客が激減した。中山さんが1日に担当する客数も以前より減ったが、その分、一組一組のお客さんに対してより丁寧な案内ができる余裕が生まれた。
「コロナ前は予約のお客様だけで一日中埋まっていて、ちょっと異常なほどの忙しさでした。ある意味、コロナがあったことで、自分の『車夫人生』が延びたような気もしてるんです。自分のようなおっちゃんより、若い車夫に案内してもらいたいというお客様もいると思いますが、嵐山で20年以上車を引いてきた経験が、自分の強みだと思っています」
以前は体が動く限り、車夫の仕事はずっと続けると考えていた。しかし最近は、膝の靭帯に故障を抱えるようにもなったことから、「来年にはもしかすると引退している可能性もある」とも考えるようになった。だがそれでも、「走れる限りは、車夫として走り続ける」と決めている。
「自分は若い人にとっての『手本』にはなれないと思いますが、『見本』にはなれるかもな、と思うんです。手本、つまり誰かの模範となる人生は素晴らしいけれど、『こんなに長いこと車夫を続けた男がいた』と、一つの生き方の見本として記憶されることにも、意味があるんじゃないか。僕の一番の取りえは、人力車を誰よりも好きなことです。その気持ちだけは、誰にも負けません」
中山さんは笑顔で言い終えると、渡月橋のたもとへ客待ちに戻っていった。今日も明日も明後日も、中山さんは嵐山を訪れた人に忘れられない旅の記憶を残すために、人力車を引き続ける。