操る人力車はブレーキ付きの特注車

車夫の一日は、毎朝9時30分の朝礼から始まる。えびす屋が保有する人力車が格納された車庫に、この日勤務する15名ほどの車夫たちが集まった。全員が浅黒く日焼けし、目には力強い光をたたえている。目を奪われるのはその肉体だ。血管の浮いた手足は何本もの縄をよったような筋肉に覆われ、陸上競技で鍛え上げた選手にも似た空気をまとっている。

朝礼
撮影=小林禎弘

「今日の中山さん担当のご予約は、11時に東京からのお客様2名です。女性のお二人連れになります」

社員がその日の予約を確認し、注意事項を伝達したあとで、車夫の一人が前に出て、壁に貼られた文字を唱和する。

「えびす屋グループは、徹底的にお客様第一主義を貫く」
「各エリアに来てくださる観光客には、えびす屋の従業員である前に、地域の観光大使であるという認識を持ち、その姿勢を貫く」
「見られていることの意識を強く持ち、親切でやさしく、かっこ良い車夫であることを貫く」

10項目以上ある車夫の心構えを、仲間とともに唱和し終えた中山さんは、朝礼が解散してすぐに自分専用の特注人力車である「山水」号のところへ向かった。

「毎朝、出発前に不具合がないか必ず点検します。自動車と違って車検があるわけではないので、お客様の安全で快適なご乗車体験のためにも、タイヤのスポークにゆがみや折れがないか、ガタツキがないかを入念にチェックします」

点検
撮影=小林禎弘

人力車のメーカーは現在、岐阜県に一つしかない。近年、乗り心地をよくするためにサスペンションなどが装着されたが、明治大正期から基本的なデザインは変わっていない。山水号がほかの人力車と違うのは、ブレーキが付いていることだ。人力車の重量は約80kg、体重60kgの大人2人を乗せると総重量は200kgを超える。そのため引いて走らせることよりも、速度がついた車を「止める」ことのほうが難しいのだという。

「若いときは問題ありませんでしたが、40を超えてから膝に負担がかかるようになって、ブレーキ付きの車にしてもらいました。これを引くようになってだいぶ体は楽になりましたね」

ブレーキ
撮影=小林禎弘