日本全国の観光地では20年ほど前から「観光人力車」を見かけるようになった。200kg超という車体を引いて走る「車夫」は、力自慢の20代が中心だ。そのなかで、52歳という最年長の男性が、京都・嵐山にいる。彼はなぜこの仕事を続けているのか。連載ルポ「最年長社員」、第15回は「車夫」――。
最年長社員「車夫」ロゴ画像
撮影=小林禎弘

己の肉体一つが資本となる人力車の車夫

数ある京都の観光地のなかでも、その豊かな自然と古色蒼然とした町並みの美しさで知られる嵐山。桂川にかかる渡月橋から望める風光明媚な景色を求めて、国内外から数多くの観光客が訪れる。そして、嵐山にやってきた観光客たちが必ず目にする、当地の「名物」の一つが、日に焼けた車夫たちが引く「人力車」の姿だ。

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嵐山の車夫たち全員が所属する企業「えびす屋」は、約30年前の1992年に嵐山で創業した。いまでは京都の他に、函館、浅草、鎌倉、由布院など国内10の観光地に支店を持つ、観光人力車のリーディングカンパニーである。

そのえびす屋発祥の地、嵐山總本店のなかで「最年長車夫」として働くのが、中山大督(なかやま・だいすけ)さん、52歳だ。中山さんが車夫になったのは、28歳のときのこと。それから20年以上が過ぎた。

車夫という職業は、己の肉体一つが資本となる。体力がみなぎる20代の若い車夫たちのなかで、50歳を超えてもなお現場の第一線で人力車を引き続けるのは、並大抵のことではない。中山さんが車夫という仕事に長年、惹かれ続ける理由は何なのか。この仕事の先に何を見いだそうとしているのか。話を聞いた。