二酸化炭素の削減は、いまや全人類の課題のひとつだ。ところが、世界のトップ1%の人たちの二酸化炭素排出量は、下位50%の2倍以上だ。なぜそこまで偏っているのか。『人新世の「資本論」』(集英社新書)著者の大阪市立大学大学院の斎藤幸平准教授と、共著『正義の政治経済学』(朝日新書)を出した衆議院議員の古川元久さん、法政大学の水野和夫教授の鼎談をお届けしよう――。(後編/全2回)

※編集部註:初出時、リード文に「人類の排出する二酸化炭素の約半分は、世界のトップ1%の富裕層が排出している」とありましたが、誤りでした。訂正します。(9月28日14時48分追記)

GDPはもう賞味期限切れ

前編から続く

水野和夫氏
水野和夫氏(撮影=朝日新聞社)

【水野和夫(以下、水野)】資本主義を終わらせるためには、近代社会の宗教である「成長教」を捨てなければなりません。近代資本主義は人と自然から収奪することで、経済成長に躍起になってきました。そして、成長教の根っこにあるのは数字信仰です。そのもとでは、人間の行為をことごとく数量化し、その数値によって社会が正しく機能しているかどうかを判断します。

その最たる指標がGDPです。現代の国家は、GDPが右肩上がりに増えていけば、国も豊かになっているとみなします。しかし、それは幻想です。電気洗濯機も冷蔵庫も、液晶テレビも、先進国にはすでに広く行き渡っている。若い世代は、前の世代に比べて所有欲も薄いという話もよく耳にします。

GDPで国の豊かさを測るというのは、近代成長教の教義であって、もう賞味期限は切れているわけです。ならば、内閣府はGDPを発表するのをやめたらどうかと私は思うのですが、斎藤先生はGDPについてどうお考えですか。

【斎藤幸平(以下、斎藤)】GDPが意味をなした時代がかつてあったから、これだけ浸透しているのだと思います。しかし、それは終わりました。経済成長が生み出してきた負の要素が、いまや気候危機やコロナなどはっきりと目に見える形であらわれてきた以上、GDPで国の豊かさを測る意味は見出せません。とはいえ、GDPを別の指標に置き換えて、ウェルビーイングや幸福度を判断するのも難しいでしょう。各人の幸福は数値で測れるものではありませんから。

「週24時間の労働」で先進国の最低ニーズは回る

斎藤幸平氏(撮影=五十嵐和博)
斎藤幸平氏(撮影=五十嵐和博)

【水野】私もそう思います。幸福を数量化したら、とんでもないことになります。たとえば、メンタルの安定度を数値化して、低かったら薬を飲ませて安定させるなんてことにもなりかねません。個々人の幸福に関しては、政府は関与しないほうがいいですね。

【斎藤】むしろ、各人が自分の好きなことをできる余地を拡大していくような方策に転換していく必要があります。そのためには、「労働時間の短縮」が不可欠です。世の中には、デヴィッド・グレーバーが「ブルシット・ジョブ」と呼んだ、不要な仕事がまだまだたくさんあります。

それを社会から削り、農業やケアワークのような仕事を拡張して、みんなでシェアする。これらは資本主義のもとでは生産性が低いと言われていましたが、本来重要かつ不可欠な仕事です。そうすれば、ケインズが予測した15時間程度の週労働で十分にやっていけるのではないか。仮にそれが極端だとしても、フィンランドが目指している週24時間程度で、先進国の最低限のニーズは回せると思います。

そうすれば、人々は残りの時間を、スポーツや趣味、家事など、別の活動に充てることができます。社会の豊かさとは、こうして生まれるものではないでしょうか。