両親の介護のため、公務員からパートに仕事を変えた

母親は2週間で退院し、その後はホルモン剤を毎日服用することに。そのため、定期的な通院が必要になった。

母親はみるみる体力が落ち、以前のように父親を介助できなくなってきた。2人の通院の付き添いや介護サービスなどの手続き、ケアマネジャーとの打ち合わせ、実家へ行っての家事サポートも必要になり、南野さんがすべてを1人で担うには厳しい状況に陥っていく。

かといって、車で約3時間かかる場所に住む姉に「介護に来てほしい」とは言いにくい。退職を考えたが、「今辞めたら、もう年齢的にどこも雇ってくれないのではないか?」と思い決断できずにいた。

それでも思い切って姉に相談すると、「経済的な負担は私が担うから、両親の介護をお願いしたい」と言う。姉夫婦には子どもがおらず、夫婦共公務員で収入面の心配はなかった。

そのため、南野さんはフルタイムの公務員職から、思い切ってパートの仕事に切り替え、実家で両親と同居を開始し、介護に集中できる環境を整えた。

「この頃の私は、介護の大変さが全然わかっていませんでした。金銭的援助をしてくれた姉には申し訳ないですが、何度『仕事をしていたほうがいいかも』と思ったか知れません。お金の心配をしなくていいだけでも、私は幸せ者です。でもそれだけに、弱音を吐くことができませんでした……」

父親がベッドで泡を吹いて倒れていた

そして2016年5月。買物に出かけていた母親が家に戻ると、いつもいる居間に父親がいない。「寝室で寝ているのかな」と思った母親は特に気にせずに家事をしていたところ、大きな音がしたため、母親は急いで寝室を見に行くと、父親がベッドで泡を吹いて倒れており、息をしていない。

母親はパート中の南野さんに電話をかけ、「お父さんが! 息してない!」と叫ぶ。びっくりした南野さんは、救急車を呼ぶよう指示し、急いで病院へ向かう。

集中治療室
写真=iStock.com/Georgiy Datsenko
※写真はイメージです

救急隊員の話によると、父親はてんかんの発作を起こして倒れたようだ。父親はICUに運ばれ、医師からは、「もう話せなくなるかもしれません」と言われた。

運良く倒れたのがベッドの上だったものの、一度目は卓球中、二度目はリハビリ中、そして三度目の転倒をした父親は、再び寝たきりの入院生活に逆戻りしてしまった。

しかしそれから1カ月後、父親は驚異的な回復力を発揮し、リハビリ病院へ転院に。多少理解力は落ちたものの、会話ができるようにまで回復した。

ようやく平穏な時間が訪れた。

そう思った矢先の2018年5月。74歳の母親は、甲状腺がんの定期検診で、大腸がんと肺がんが見つかる。主治医によれば、これらのがんは甲状腺がんとは関係がなく、大腸がんになった後に肺に転移したとのこと。「ステージ4です。このまま何もしなければ、余命は半年でしょう」と宣告。

南野さんは目の前が真っ暗になった。(以下、後編に続く)

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