「卓球で尻もち」をきっかけに父親がおかしくなった
東北地方に在住の南野朱里さん(仮名・50代前半・独身)は現在、78歳の母親を在宅介護しながら、週に2日、自宅で絵手紙教室を開いている。
南野さんがまだ40代前半だった2010年12月、当時69歳の父親が趣味の卓球をしているときに、尻もちをついた。そのときは何ともなかったが、約3週間後に足先から痺れが出てきて、だんだん上半身へ広がり、最後は胸あたりまで達し、激しい痛みを訴えたので、当時67歳の母親が救急車を呼ぶことになった。
検査の結果、父親は脊髄梗塞(背骨の中を通っている脊髄に血液を供給している血管が詰まってしまう病気)と診断。医師は、「このまま歩くことができなくなる可能性が50%ほどあります」と告げた。
父親は、意識はしっかりしていたものの、しばらく寝たきり状態が続き、約3カ月後にようやく起き上がれるようになった。
2011年2月。父親は歩行のリハビリを受けるため、リハビリセンターへ転院。
当時は公務員として働いていた南野さん。入院している間は、父親の身の回りのことは看護師がやってくれるが、着替えを持っていき、汚れ物を回収するため、毎日の面会だけでも時間はとられる。今後のことを考えると、仕事と介護の両立ができるかは見通せない。母親は元気だが高齢のため、多くを求められない。
そこで南野さんは、包括支援センターへ相談に行き、要介護認定調査を受けることに。父親は要介護2だった。
リハビリ中に2度目の転倒「性格が変わると思います」と医師
ある日、いつものように歩行のリハビリを受けていた父親は、バランスを崩して転倒し、頭を強く打ってしまう。再び救急病院へ運ばれると医師は非情な宣告をする。
「亡くなられてもおかしくないほどの重症です。記憶障害・高次機能障害・硬膜下血腫他のため、性格が変わると思います。それも、悪くなるほうに……」
父親はその日のうちに意識を取り戻したが、面会に行ってもぼんやりしていて、母親や南野さんのことがわからないときや、知らない人の名前など、おかしなことを口走ることがあった。
「当時の父は、自分が置かれている状況が全く理解できていない様子でした。誰が誰だかもわからないし、なぜ自分が病院に入院しているのかもわからない感じです。頭のリハビリを受ける際に同席しましたが、父は、正しい言葉を発しているつもりなのに、口からは違う言葉が出ているようで、イライラすることが増えました」
頭を打ってから父親は、ひどく時間を気にするようになり、入院中も肌身離さず腕時計をつけるようになった。南野さんと母親はバスを2つ乗り継ぎ、毎日面会に通っていたが、ある日突然、父親が言った。「バスの時間だよ。乗り遅れるぞ。もういいから、早く帰らなきゃ」
その言葉を聞いた瞬間、南野さんは涙が溢れた。
「自分が大変な状態になったのに、私と母の帰りのバスの時間を心配してくれるなんて……と驚いてしまって。父は、倒れてから怒りっぽくなったけど、以前と同じように思いやりの心を忘れないでいてくれた。それが嬉しくて、それまで我慢していた涙が出てしまいました」
父親はまだ60代。まさかこのまま寝たきりになってしまうのか。倒れて頭を強打してから、そんな不安でいっぱいだった南野さんだが、この日の帰路は足取りが軽かった。