近畿地方に住む40代の女性は20代で結婚・出産して以降、苦労の連続だった。精神的に弱い夫は壁に穴を開け、妻に罵詈雑言を浴びせる。一時同居した義父は目が不自由で介護が必要だ。両親も肺炎や認知症を罹患した。ワンオペで3児を育てる女性はパニック障害になり、その後、子宮摘出することに――(前編/全2回)。
うつむいて顔を覆う女性
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この連載では、「ダブルケア」の事例を紹介していく。「ダブルケア」とは、子育てと介護が同時期に発生する状態をいう。子育てはその両親、介護はその親族が行うのが一般的だが、両方の負担がたった1人に集中していることが少なくない。そのたった1人の生活は、肉体的にも精神的にも過酷だ。しかもそれは、誰にでも起こり得ることである。取材事例を通じて、ダブルケアに備える方法や、乗り越えるヒントを探っていきたい。

「こんな人生があるのか」20代で結婚以降、苦難続き壮絶

近畿地方在住の松野貴美さん(40代・既婚)は、中学・高校と陸上部に所属した。高3の頃、市の大会に出場した際、応援に来ていた2歳先輩の夫と知り合い、1995年に20代で結婚。翌年には長男、1998年には長女を出産した。

メーカーに勤める夫は、若い頃から精神的に弱いところがあった。松野さんは結婚前からそのことを知っていたが、「まさかここまでとは思わなかった」と苦笑する。

夫は数年に一度くらいの頻度で気が大きくなったり、手がつけられないほど落ち込んだりする。気が大きくなるときは、高額な買い物をしたり、突然「仕事を辞めて大学に通う!」と言い出して資料を取り寄せたり、マシンガンのように喋り続けたりし、ひどく落ち込むときは、仕事ができなくなるだけでなく、食事を摂らなくなったり、入浴しなくなったり、松野さんはじめ、身近にいる人を2〜3時間誹謗ひぼう中傷し続けたりした。

義父は網膜色素変性症のため、幼い頃から目が見えづらかったが、2000年(当時55歳)以降、年を重ねるにつれて悪化。介助してきた2歳下の義母も50代のため、「2人暮らしでは不安だから」と、義両親から同居することを懇願される。

松野さん夫婦は同居することを承諾したが、当時は長男が4歳。長女が2歳。手がかかる時期に夫は子育てに全く協力しないばかりか、調子が悪くなると松野さんを精神的に振り回し、義両親には気を使う生活に、松野さんの限界が来た。

義両親との同居から3年で別居を切り出した松野さんを、義両親と夫は聞き入れ、松野さん夫婦は、実家と義両親の家の中間ほどのところに新居を購入し、移り住んだ。

「今振り返ると、私の若気の至りとしか言いようがありません。私が一方的に義両親に対して拒絶反応が出てしまうようになっていて、いつも家の中が険悪な空気になっていました……」

松野さんは自嘲気味にこう話すが、まだおむつが取れるか取れないかの幼い子どもを2人も抱え、目の見えない義父をサポートしながら、精神的に危うい夫や高齢の義母に気を使いながらの生活は、想像を絶する苦労があったはずだ。

「お前はダメだ!」罵詈雑言を3時間浴びせる夫が抱えていたもの

2002年に3人目の子供となる次男が生まれたが、夫は精神が安定しているときでも、一切子育てに協力しない。調子が悪くなると、幼い子どもたちを一人で世話する松野さんに対して見下した態度を取り、「お前はダメだ!」「頭がおかしい!」などと、罵詈ばり雑言を2〜3時間浴びせ続けた。

この頃すでに夫は精神科へ通院していたが、時には薬を大量に飲んで大暴れして救急車で運ばれたり、物を投げたり壁に穴を開けたりするため、新居は数年で傷や穴だらけになった。

「子どもに被害が及ぶこともあるので、小さいうちは子どもたちを守るのに必死でした。誹謗中傷に対して言い返したり、やり返したりすると数十倍になって返ってくるので、黙って嵐が過ぎ去るのを待つしかありませんでした」