それに、自分が働く広告代理店のクライアントは日本中の企業、自治体、行政に広がっているのに、福祉の世界とはまったくつながっていなかった。
「間」が健常者と障害者を隔てている。その事実に直面した澤田さんは、閃いた。ライターやストローのようなイノベーションは、障害者というマイノリティの弱さを改善することから発明された。視点を変えれば、マイノリティは弱さの宝庫だから、その弱さを改善すると社会が前進する。
それなら、企業の商品の認知度を上げたり、売り上げを伸ばすことよりも、福祉と社会の間をアイデアで埋めるような仕事をしようと腹をくくった。それがいずれ、息子のためになる。そう考えると、息子の障害が発覚してから初めて、ワクワクした気持ちがよみがえった。
「これまで、僕のクライアントは企業だった。これからは、福祉をクライアントにしよう。僕のすべてを福祉と社会の間の仕事に投入するんだ」
大きな反響を呼んだ「見えない。そんだけ。」
上司には、「長い目で見れば、福祉×広告はビジネスになり得る。業務中もそういう実験をする時間を設けさせてほしい」と相談した。すると、「一定の稼働時間ならOK」と理解を得た。
かつて、無人の荒野でチャンスを見いだした澤田さんは、こうして、ビジネス的視点では手つかずで残されていた福祉の世界に足を踏み入れた。福祉に携わる人たちからすると、コピーライターをしている澤田さんは、完全なる異端児である。しかし、ここで200人のインタビューが効いた。福祉の世界は、横でつながっている。澤田さんのひとり息子が視覚障害者で、澤田さんが必死に息子を助けようとしていることが知れ渡っていたから、よそ者扱いはされなかった。
最初に声をかけてきたのは、澤田さんが話を聞いた200人のうちのひとり、日本ブラインドサッカー協会の事務局長、松崎英吾さんだった。ブラインドサッカーとは、プレーヤーがアイマスクをして、転がると音が鳴るサッカーボールを使って行うサッカーで、視覚障害者と健常者が同じフィールドでプレーすることができる。松崎さんからは、一般向けに開催している体験会の認知度を上げたいという相談を受けた。
体験会に参加した澤田さんは、アイマスクで視覚が閉ざされる、つまり目が“OFF”になると、目から入る情報量が抑えられて、むしろ快適だと気づいた。そこで、「OFF T!ME」というネーミングを提案した。専門家が知識やスキルをボランティアで社会に役立てるプロボノとして関わったのでお金のやり取りはなかったが、これが、コピーライター・澤田智洋の福祉分野での記念すべき初仕事になった。