ひとが魚だとしたら、水次第
世界ゆるスポーツ協会は、ボランティアながら300人を超えるメンバーが所属する組織に成長。代表の澤田さんは、競技の開発からイベントの企画運営まですべてを統括する立場にあり、多忙な日々を送る。しかし、今も変わらず広告代理店のコピーライターでもある。会社員としての仕事は、どうなっているのだろうか?
「ゆるスポーツも含めて、最近はESGとかSDGsの観点で障害のある方となにかをしたいという企業や自治体が増えています。でも、広告業界で福祉とつながりがある人は多くはないので、営業を通してそういうオファーは僕のところに来ますし、僕もそういう仕事を積極的にやりたいので担当します。広告と福祉とスポーツの間にスポッとはまったような感覚ですね。時々、なんで辞めないの? と聞かれますが、広告会社にいるメリットが山ほどあるんです」
子どもの頃からずっと、どこにも所属できない感覚で生きてきた澤田さん。社会や会社の歯車になりたいと願ったこともあったが、いつしか、自分がマイノリティであることを受け入れ、それを活かすことを学んだ。だからこそ、生まれてきた息子が視覚障害者だとわかった時、徹底的に弱者に寄り添う道を選ぶことができたのだろう。その先で、想像もしなかった道が拓けた。
こうして、澤田さんがたどり着いた言葉こそが「マイノリティデザイン」。だれかが抱えるある意味での「弱さ」を、世界を良くする「伸びしろ」に変えるアイデアのつくり方、だった。
「ひとが魚だとしたら、水次第だと思うんです。淡水魚なのに、海水で泳がされたら息が詰まりますよね。それなら、水を変えればいい。僕は、福祉の世界に飛び込んだ時、初めて水を得た魚になれました。自分がマイノリティだった経験と、息子の目が見えないこと、福祉の世界の意外な面白さや障害を持つ方の想いに触れて、この水だ、この水がいいって思えたんです」
澤田さんの息子は、今年で8歳。点字ブロックリレーなどのゆるスポーツを楽むようになり、親子の夢をひとつ叶えることができた。社会と福祉の「間」を埋める仕事に終わりはないが、社会の変化に希望も感じている。最近はもう、パリ時代の孤独を思い出さない。