7年8カ月続いた安倍政権は、どのような政治をしてきたのか。政策シンクタンク代表の原英史氏は「元文部科学次官の前川喜平氏は『霞が関全体が安倍官邸の下僕、私兵と化してしまった』と批判している。しかし、忖度が増えたのは『官邸主導』の問題ではなく、霞が関の劣化の問題だ」という――。

安倍政権の「行き過ぎた官邸主導」という虚像

安倍政権は「行き過ぎた官邸主導」だった、というのが通り相場だ。

たしかに、アベノミクス初動や外交・安保では、強力な「官邸主導」が発揮された。だが、それ以外の内政全般ではそうだっただろうか。

首相官邸に入る安倍晋三首相=2020年9月4日、東京永田町
首相官邸に入る安倍晋三首相=2020年9月4日、東京・永田町(写真=時事通信フォト)

私自身、安倍政権での「国家戦略特区」の制度創設時からワーキンググループ委員として運営に携わるなど、目玉政策の一つだった「岩盤規制」改革に関わった。私に見えていた限り、「官邸主導」を感じることは少なく、政権後半にはさらに薄れていった。

比較すると、より強く「官邸主導」だったのが小泉政権だ。道路公団、郵政、政策金融など、政府・与党内での対決を辞さず、「官邸主導」で次々に改革を進めた。

当時、改革のエンジンとなった「経済財政諮問会議」は毎回のように大荒れで、改革推進側の大臣・民間議員らと反対側の大臣らが激しい議論を戦わせた。

政策金融改革が議題になった際、双方の議論を聞いた小泉首相が、反対する財務・経産大臣に対し「役所に引きずられるな」と強く改革を迫った場面は、後々まで語り継がれている(2005年10月27日経済財政諮問会議)。

首相の姿勢を聞き及んだ関係者はその後、粛々と改革を進めることになった。