虚像に基づく“疑惑追及”で岩盤規制は不発に終わった

ともかく、虚像に基づくマスコミ・国会の“疑惑追及”が続くうち、「官邸主導」の機運はますます低下した。これが、安倍首相の岩盤規制改革で十分な成果をあげきれず、「第三の矢」が不発に終わった理由だ。

ちなみに、首相の方針が不発に終わった事例はこれに限らない。例えばコロナ対応では、安倍首相が2月に「医師が必要と認める検査はすぐできるように」と表明した。しかし、その後も十分な検査体制の構築はなされず、結果として、不毛な「PCR検査論争」を招いているのも、その一例だ。「官邸主導」は決して強力ではなかった。

「官僚の忖度」は霞が関の劣化の問題でしかない

官邸が霞が関の人事を掌握し、「官僚の忖度」が蔓延ったとの指摘も繰り返されている。例えば毎日新聞の8月29日付記事『「忖度」は脅されて? 霞が関どう変わった 反骨の元官僚2人に聞く』では、元文部科学次官の前川喜平氏がこう語っている。

・「霞が関全体が安倍官邸の下僕、私兵と化してしまった」
・「各省庁の知識や経験、専門性はないがしろにされ、『これは変じゃないか』と思うようなものを無理やりやらされることはしょっちゅうだった」

しかし、これは「官邸主導」の問題ではない。安倍政権以前の古い時代にも、声の大きい有力族議員などは存在し、その言いなりに筋を曲げてしまう官僚はいた。そうではなく、言うべきことは言い、筋を通す官僚もいた。

前川氏は自分は前者のタイプだったと表明しているにすぎない。こうしたタイプの官僚が増えているとすれば、「霞が関の劣化」の問題でしかない。

もちろん、後者のタイプが正義と言えるかどうかは別問題だ。こうした議論ではしばしば、双方とも自らが正義と信じていることがある。これは、議論を公開し検証可能にして解決するしかない。

前川氏の場合、国家戦略特区の会議に出てきて「変じゃないか」と主張し、公開議事録に残すことができたにもかかわらず、文科省の責任者としてそれをしなかったのである。

それを今になって「行き過ぎた官邸主導」と難じても、何の説得力もない。マスコミもそろそろ、こうした主張を「正義の反骨官僚」扱いするのは考え直したほうがよいのではないか。