葬式に金をかけられない人が増えている

さらには経済的な事情も大きい。一般葬を行えば100万を超える金が必要になったりする。家族葬や直葬が、瞬く間に広がったのも、経済環境が悪化し、葬式に金をかけられない人たちが増えたからだ。

島田裕巳『捨てられる宗教 葬式・戒名・墓を捨てた日本人の末路』 (SB新書)
島田裕巳『捨てられる宗教 葬式・戒名・墓を捨てた日本人の末路』(SB新書)

それまでは、「世間体」というものがあり、葬式で無理をしていた可能性も考えられる。「粗末な葬式では故人が浮かばれない」。そうした批判の声が上がるために、それなりの費用をかけたのだ。村社会で葬式組が機能していれば、費用はさほどかからない。葬式組は持ち回りで、葬式を出してもらった側は、次の機会には出す側にまわる。

それが、都会になれば、葬式組はなく、地域の関係は薄い。そうなれば、どうしても業者に依存するしかない。それが、葬式に金がかかるようになった根本的な原因である。家族葬や直葬が広がったことで助かったと感じている人たちは少なくないだろう。家族葬の場合には、僧侶を呼び、読経してもらうことも多いだろうが、無宗教というやり方もある。直葬となれば、僧侶を呼ぶことはほとんどない。ともすると、日本の仏教は「葬式仏教」と揶揄されてきた。葬式をあげることが、信仰活動の中心だというわけである。

「葬式仏教」が浸透してから、150年もたっている

そこには、江戸時代に生まれた寺請制度の影響が大きい。江戸幕府は、キリシタンなどの信仰を持っていないかを確かめるために、寺院の檀家になることを強制した。これによって檀那寺に葬式を依頼するようになり、葬式仏教というあり方が広く浸透するようになる。

明治に入ると、寺請制度は廃止されたものの、寺院と檀家の関係が解消されたわけではなく、それは受け継がれた。そのため、葬式には僧侶を呼び、仏教式で行うことが習俗として残された。

しかし江戸時代が終わってから、すでに150年の歳月が流れた。時代は大きく変わった。葬式を是が非でも仏教式であげなければならない必然性はなくなり、葬式の簡素化が著しく進行した。仏教系の宗教団体が信者数を減らすのも当然のことである。

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