クリスチャンは、毎週日曜日に教会へ行って礼拝をします。しかし、これは聖書に書かれている決まりだから礼拝をしている、というわけではありません。クリスチャンにとって最も大切なのは、自分と神様との関係です。仕事が終わって、家族団らんの時間を大切にするのと同じように、日曜日に礼拝をして、神様の視線を感じ、声を聞く。礼拝を通じて、神様に認められている自分を客観視する時間を作るということ。それが礼拝の持つ重要な役割なのです。

自分も他人も許せないときは

失敗をして落ち込み、自分を許せないとき。または、自分に害をなす人間、嫌いな人間を許せないとき。こういったときは、誰かに話を聞いてもらってください。それは、私たちのような牧師でもいいし、臨床心理士やカウンセラーでもいい。

私の教会にも、毎週日曜日の礼拝には、初めて来てくれたという人が必ずいます。牧師はお金がかからないので、悩みを話すにはちょうどいい相手だと思います(笑)。

人は自分を許せないときや他人を許せないとき、寛容になるためには、まず自分が他人から許されなければいけません。

私は神様と、神様の御使いである恩師(牧師)に自分の苦しみを共有してもらえたことで、自分自身を許すことができ、過去の自分の罪を受け入れることができました。そのおかげで今を生きています。そして、昔の自分のような人を立ち直らせるために自分自身も牧師となりました。

神に後悔や悩みを託し、自らの身を委ねる。そして許してもらい、自分の罪を手放すときに平安が訪れます。そして自分もまたほかの誰かを許し、認め、見守ってあげる。これこそが信仰なのです。

キリスト教の洗礼を受けるかどうかは別として、ぜひ1度、教会を訪れてみてください。牧師との相性が良くないと感じたら、ほかの教会を訪れても構いません。

「救われたい、自由になりたい」と思う気持ちを持ち続ければ、必ず自分を救ってくれる信仰と牧師に出会うことができるでしょう。

(構成=小野正広 撮影=フクダタカヤス)
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