75年前に日本は戦争に負けた。そのことを日本はいつまで反省しなければいけないのか。早稲田大学社会科学総合学術院の有馬哲夫教授は「前提となる歴史観には首をひねりたくなるものが多い。その原因はマスコミと教育であり、GHQが日本に対して行った『心理戦』に源流がある。そろそろ占領時の呪縛から解き放たれてもよいのでは」という——。
※本稿は、有馬哲夫『日本人はなぜ自虐的になったのか:占領とWGIP』(新潮新書)の一部を再編集したものです。
夏になると蘇る「敗戦国」の記憶
毎年、8月になると戦争関連の報道、番組が増えます。この場合の戦争というのはもちろん1945年に日本の敗戦で終わった先の戦争のことです。さまざまなテーマが扱われますが、基本的なトーンとしては「反省」が軸にあるものがほとんどです。無謀な戦争をして、多くの犠牲を出し、酷い敗け方をした以上は当然でしょう。
しかし一方で、その前提となっている歴史観には、首をひねりたくなるものも多々あります。たとえば、以下のような文章を読んで、読者はどう思われるでしょうか。
「日本は無条件降伏したのだから、旧連合国の要求や批判を受け入れるしかない。先の戦争は連合国とくにアメリカがアジア諸国から日本の支配を排除した太平洋戦争であって、欧米列強からアジア諸国を解き放ち共栄圏を作るための大東亜戦争ではなかった。連合国とくにアメリカは正義の戦争を戦って悪の戦争をした日本に勝ったのだから、極東国際軍事裁判で日本の戦争責任と戦争犯罪だけを追及する正当性を持っている。広島、長崎への原爆投下は、それによって戦争終結が早まり、およそ百万のアメリカ将兵の命が救われたので仕方がない一面がある。日本は戦争中『韓国人』や『北朝鮮人』に被害を与えたのだから、賠償するのは当然だ」
一言で言ってしまえば「無謀な戦争をしかけた敗戦国には何も言う資格はない」ということでしょうか。
程度の差こそあれ、このような歴史観を持つ日本人は決して珍しくありません。それどころかマスメディアや研究者の世界には多数います。朝日新聞などもこうした見方を肯定します。その影響は決して無視できるものではありません。