日々の情報を、オンラインニュースやSNSで得る人も多いことだろう。しかし、情報の正確性には疑問も残るし、知らず知らずのうちにフェイクニュースに騙されることもある。どんな話題にも舌鋒鋭く切り込む橋下徹氏は、変化する情報にどう対峙しているのか──。プレジデント社の公式メールマガジン「橋下徹の『問題解決の授業』」(6月30日配信)から抜粋記事をお届けします。

【橋下流→その1】「真実はわからない」という前提で物事を見る

事実と偽の混乱
写真=iStock.com/Kenishirotie
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インターネットが発達するにつれて巷には情報が洪水のごとくあふれており、インテリたちは「フェイクニュースに騙されるな!」「情報リテラシーを養え!」「真実を見抜け!」と言っています。そのようなハウツー、ノウハウも流行しており、今回のこの企画もその一環ですね(笑)。

結論から言います。今の情報化社会で真実を見抜くなんてことは完璧にはできません。また、どれだけ偉そうに言っているインテリでも、そんな能力がある人はまずいないでしょう。みんな多かれ少なかれフェイクニュースに踊らされている。僕もそうです。

じゃあ、こんな時代にどのように生きていけばいいのか。それはたった一つ。「真実はわからない」という前提で自分の思考を組み立てることです。前提にできることは公知の事実のみ。公知の事実とは、ある意味万人が認めている事実や、ある専門領域の専門家の間でほぼ統一見解としてまとまっている事実のことをいいます。自分の知識が増えてきたり、社会的ポジションが上がってきたりすると、ついつい自分には情報リテラシーがあると過信してしまい、自分の見解が絶対的に正しい真実だと思い込んでしまう。自分の心の内に留めておく分にはそれでもいいのですが、公に表現する場合にはそれはまずい。常に真実はわからないという前提でロジックを構築し、この場合だったらこう、この場合だったらこう、といくつかの前提事実を想定して場合分けする思考回路にしておかなければなりません。

特にある分野の専門家が自分の専門領域でないことに言及しているときには要注意です。ある専門領域でそれなりのポジションを築いている人に対しては、ついついその人が言っていることを全面的に信用してしまうものですが、専門領域外のことは素人だという前提で、その見解を聞かなければなりません。