「一斉休校」の判断は是か非か
最近の例では、新型コロナウイルス肺炎騒動の当初において、小中高を一斉休校にすることの是非がネット上で盛んに論じられました。感染拡大の危機感が高まった今の段階では一斉休校に反対する人は少なくなりましたが、感染拡大の危機感が低かった当初は一斉休校に反対の声も強かったのです。
一斉休校の是非を論じるにあたって、子どもたちの間での感染のリスクが高いか、低いかを論点とする議論が激しく行われました。この点に関しては、感染症の専門家の間でも意見が分かれていました。そんな中、「子どもたちの間での感染リスクは非常に低い」というWHOの報告書が出てきたんですね。そうすると一斉休校反対派は、この証拠をもって、「ほら! 子どもたちの間では感染のリスクが低いんだから一斉休校にする必要はない!」と論じたわけです。一斉休校になれば確かに小学校低学年のお子さんを持つ親御さんは大変なご苦労をする。そういう背景もあって一斉休校反対論が強く叫ばれました。
もちろん賛成論の中では、子どもたちの間での感染リスクが高いことを理由とするものも多かった。しかし、当時は専門家の間でもまだ見解が分かれていて、これを公知の事実とするわけにはいきません。つまり、子どもたちの間での感染リスクが高いのか、低いのかをどれだけ論じ合っても意味がないのです。こういう専門家がこう言っている、このような専門家団体がこのように言っているという根拠をいくら示しても、「いや、まだ確定していないでしょ?」という反論で終わってしまうのです。
未知のウイルスについて、まだその実態がよくわからない場合にはどう対処するのか?
それは「わかるまではとりあえず様子を見てみよう」というのが僕のロジックでした。様子を見るということは、一斉休校にして様子を見るということです。それは万が一のリスクを避けるため。そして、だんだんウイルスの実態について明らかになってくれば、それに合わせて休校措置を解除する、すなわち再開するということです。このロジックにおいては、新型コロナウイルスが子どもたちの間で感染するリスクが高いかどうかということは議論しません。
WHOの報告書の後、すぐさま米中の共同研究チームが子どもたちの間での感染を認めるような報告を行っています。
この段階では真実はわからないことを前提に、とりあえず一斉休校をやって様子を見るロジックが妥当だったでしょう。そして一斉休校の間に様子を見て、最終的に日本政府の専門家会議が、学校空間が感染を爆発的に広げるドライビングフォースにはならないという見解を出した。
ここまでくれば、この専門家会議の見解を一つの公知の事実として扱ってもいいんじゃないかと僕は思います。
新型コロナウイルスが子どもたちの間で強く感染するのか否か。ネットにはいろいろな見解があふれていましたが、公知の事実となるまでは「わからない」ということを前提にロジックを組み、「わかって」きたらそれに合わせてロジックを修正するというのがフェイクニュース対処法の極意です。
もちろん、定められた期限の中で実態がよくわからないままどうしても決定しなければならない環境においては、公知の事実になる前の段階で一定の決め打ちをしなければなりませんが、それはある種の「勘」に頼らざるをえません。それはトップの究極の判断という特殊な環境においての話であり、フェイクニュースに踊らされないためにはどうするべきかというレベルにおいては、実態が明らかになって公知の事実になるまでは、真実はわからない、という前提を貫くべきです。