「一方だけの見解」を報じることが冤罪を引き起こすこともある

私は、身内から聞いたこの話をそのまま信じるつもりはない。だが、この件を報道した記事には、いささか違和感を覚える。前出の弁護士ドットコムの記事には、ホテル側の「訴状が届いていないので、現段階ではコメントを差し控えさせていただきます」(5月29日時点)というコメントも掲載されている。

しかし、こうしたトラブルは双方に言い分があり、裁判ともなれば、裁判官がそれらの見解を詳細に検証したのち判決を出すものだ。よって、会見を開いた「片方の意見だけ」を記事にするのはいかがなものかと感じたわけだ。

ニュースやジャーナリズムのコンセプトが光ります。マイクロフォン、新聞絶縁型
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刑事事件も同じだ。なんらかの事件で犯人が逮捕されたら、テレビや新聞は警察からの情報をもとにそれを報じる。警察は、自分たちが捕まえた容疑者を犯人と信じ、裁判でも勝ちたいと思うから、当然、自分たちに有利な情報しか流さないだろう。実は、この人が無罪かもしれないというような証拠がみつかったとしても、それをマスコミに伝えるとは思えない。それは決して好ましいことではないだろう。なぜなら、容疑者や被告が真犯人であるかのような報じられ方をすると、一般人である裁判員などに予断を与える可能性もあるからだ。

つまり、こうした「一方だけの見解」を報じることが冤罪を引き起こすこともある。

名経営者は「情報の偏り」を回避するための行動をとった

「賢い人をバカにしてしまうことがある」というのが本連載の一貫したテーマだが、私のみるところ「情報の偏り」によって、本来賢い人がそれ以外の選択肢や考えを思いつかなくなってしまうケースは少なくない。

そうした偏りを防止するため「名経営者」と言われる人は、周りにイエスマンばかりを集めるのでなく、悪い情報をきちんと伝えてくれる人を置いている。

例えば、ヤマト運輸の中興の祖である小倉昌男氏は、悪い情報は労働組合に集まるからと、あえて経営陣にとってうっとうしい存在である労組を大切にしたという。

「ミスター円」と言われた榊原英資財務官は現役時代の1991年から2001年までの10年間で為替の売買益で1兆円、評価益や金利差を合わせると9兆円の利益を出したと言われるが、彼の情報収集法も情報の偏りを避けるものだ。彼は渡米するたびに、もっとも楽観的なエコノミストと、もっとも悲観的なエコノミストと会っていたという。そうすることでたとえば円相場の振れ幅がわかるからだ。

このように情報というものは集められる限り、多方向から集めたほうが、判断の精度が上がるはずだ。賢い人でも偏った情報しかもっていなければ正しい判断はできない。