櫻田謙悟のキャリアは多彩だ。組合、アジア開発銀行への出向や、2001年の9.11米国テロのときには、安田火災海上保険、日産火災海上保険、大成火災海上保険との合併プロジェクトの安田火災の事務局長だった。航空再保険損失処理、合併契約のやり直し、会社更生、再統合など、悪戦苦闘の末、02年7月にようやく損保ジャパンを誕生させた。
「私は過去の経験が役に立たない異動を繰り返してきました。結果論ですが、行った先々でどう自分が生き残るのかを、常に考えることになった。いつのまにか自分の無知が怖くなくなりました」
「現場に解あり」を掲げ、周囲の人間の声に素直に耳を傾け、コミュニケーションを図る姿勢は、社内に多くの櫻田ファンを生んでいるという。
櫻田は54歳。大手金融機関のトップとしては最年少に属する。その物言いは、論旨明快、率直だ。「損害保険に限らず、今後数年の保険業界を見渡した場合、一言でいうと苦しい。見方によっては構造不況業種」。保険業界の最大の収益源である国内マーケットは、人口が減少時代に突入した。損保も、保険料収入で最大の比重を占める自動車保険が、純減傾向を続けている。
この4月には、損保ジャパンと日本興亜損害保険が統合した「NKSJホールディングス」、三井住友海上グループホールディングスを中心とする「MS&ADインシュアランスグループホールディングス」が発足し、東京海上ホールディングスを加えて、損保業界は「3メガ体制」となった。それはまた危機感のなせる業でもある。
国内の市場環境は逆風、競争状況は巨人同士の厳しい戦いになる。櫻田は、これをどう乗り切ろうと考えているのか。
「方法は2つ。1つはより儲かるところ、成長するところに出ていく。もう1つは、構造不況の状況にあっても、会社を儲かる体質、成長する体質に変えていく。これが“狭義”の成長戦略だと思っている」